小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=102

 日本もドイツと戦っている。しかし、この原始林の中では、そんな事はどうでも良かった。
 オットーは一週間ほど居て、自分の農園へ戻った。バウルーから刑事が行った筈だが、一度行って居なかったらもう二度と来ないさ、と言った。
「有難う。もうちょっと大きいベッドがあればもっと居るんだがね」
 オットーらしい憎まれ口を叩いた。馬に拍車をかけた。谷の曲り角で小さくなった彼の姿が振り向いて手をあげた。祖国が戦争をしている男の後姿は淋しそうに、見送る運平の目に焼きついた。
 そろそろ雨期が始まる。オットーがいた日々も人々は綿の植付けに忙しかった。雨期蒔豆も植える、米は勿論だった。籾を播くとき、一粒一粒拝して土に播くのだと言う男がいるくらいで、なんといっても米が日本人の生活の中心だった。
 雨は順調に来た。十月の末からボッボッと降りはじめ綿も豆も順調に発芽した。山を焼いたあとの新畑だから雑草はまだ生えない。目が和むような柔らかい緑は全て丹精した作物の緑だった。
 十一月の十三日。
 晴れた日だった。乾期にはナイフを突き立てると刃が欠けそうな青空だが、十一月の空の青はずっと淡かった。
 その空の一角に雲が湧いていた。ベランダにいた運平がその不思議さに気付いたのは、雲がかなり拡ってからである。
 「…?」
 彼は首をかしげて空を仰いだ。雲は銀色の光を発してかがやいていた。金属のような光だった。
 その不可解な雲はゆっくり拡っていた。
 「平野さーん」
 近くの植田勘三郎が走って来た。
 「なんでしょう? あれは… … 」
 「分らん」
 二人は並んで首をかしげながら空を仰いだ。
 「オーイ」
 「平野さん」
 栗木や上野も空を言ながら不思議そうに 集って来た。
 その頃には雲の先端は頭上に達していた。日がかげり雲は銀色の光りが消えると茶色っぽい色になった。
 「雲じゃない! 何か飛んでいるのだ」誰かが叫んだ。
 確かにそうだった。何か生物が飛んでいるのだ。しかし生物とすればとんでもない大集団だった。この広い空を埋めているのだ。四辺が薄暗くなった中を、雲のようなものはゆっくりと高度を下げていた。小鳥だろうか?羽のようなものが一斎に陽光にきらめいている。

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