何気なく足許をみると、脱ぎ捨ててある下駄に数匹のバッタがたがっていた。身をかがめて下駄を手にとってみると脂がついた鼻緒が喰い千切られていた。
「クソッ!」
彼は癇癪を起こして、土間のバッタ目掛けて下駄を投げつけた。
夕方が近ずくとバッタはパラパラと飛び上り近くの森にとまった。地上では寝ないようだった。凄いバッタの群で、森は茶褐色の厚い甲冑をまとったように見えた。
頭をめぐらすと周囲の森はギッシリとバッタで盛り上がっていた。バッタが動くのか、森は夕日を受けてキラリキラリと赤い金属的な光を不気味に反射するのだった。
完全にバッタの群に包囲された状況だった。言いようのないほどの圧迫感があった。
日が沈む頃、彦平は戻ってきた。
兄の顔を見るなり、彼は首を振った。
「方法がない、と言っていた」
「……」
「奴等はてんから諦めてるよ。何もしようとしない。それからペンナ駅の近くで汽車が立往生して大騒ぎなんだ」
彦平は興奮して喋った。
「線路に群がっているバッタの脂で、車輪が空回わりして汽車が進まなくなっているんだ。客たちはペンナ駅へ徒歩で辿りついて大騒ぎしていた」
「いつバッタは飛び立つんだ?」
「二、三時間で飛べば、それは移動の途中の休憩だが、この様子ではずっといるだろうと雑貨店のオヤジが言っていた」
「ずっと?」
「二十日くらいらしい。……卵を産んでそれからどこかへ飛んで行くそうだ」
運平は溜息をついて暮れようとする森を眺めた。
これほどのバッタの群は、ノロエステ鉄道線の行きつく先のマット・グロッソ州の大森林地帯で発生し、何かの理由で食物が不足して大移動を開始するのであった。
小地域の被害は毎年のようにあるが、こんな大群は十年に一度くらいではないか、と汽車の乗客の一人が語っていたそうである。(つづく)