小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=110

 その全てを彼一人が負担した訳ではないが、とにかく有るだけの金は費した。マラリヤの後から入植した人の金まで払いに廻した。マラリヤの後から入った家族も多いのだ。マラリヤで使ってしまったからもう一度払え、とは言えなかった。マラリヤで多数の死者を出した責任を運平は日夜感じ続けていた。その為に自分が丸裸になるのは当然だと思っていた。
 しかし、現実に金はない‥…いつものように運平の手は無意識にピンガに延びた。ピンガが切れていると不機嫌で、イサノにもガミガミ小言を言ったりする。体内にアルコールがないと人間的な感情を持てないほど運平の体も心も疲れ果てていた。自分が見た夢のために、人々は此処に入植したのだった。
 結局、全ての責任は自分が負わなければならない。石にしがみついてもこの開拓地を成功させたかった。
 しかし、この苦しさはどうだ。
 夢は、夜空に浮ぶ月のようなものか、近ずけば荒廃した不毛の世界に過ぎないのだろうか?運平は落涙した。金が欲しかった。六月の寒さが割丸太のすき間から執拗に吹き込んで来る。少年のように膝をかかえて、彼は苦しい酒を飲んだ。
 翌日、運平は旅立った。馬も人も吐く息が白い。土地の登記はバウルでする。だが彼はバウルのホテルに一泊しただけでサンパウロへ向った。バウル事務所は不要になったのでとっくに閉鎖してあった。
 サンパウロに夕方着いて、翌日彼は総領事館へ重い足を向けた。友人は大勢いる。しかし、誰もかれも生きているのが精一杯だった。小遣いくらいなら融通してくれるだろうが、まとまった金を持っている移民など一人もいないのだった。どう思案しても、松村総領事以外に金策のあてはなかった。できることなら地権のことなど放っておいて、知らん顔をしていたい。しかし、毎日苦しみ続けている入植者たちにとっては〈自分の土地を持った〉という事以外には慰めはないのだった。そして、自分の名が記入された登記証を手にとらなければいつまでも漠とした不安はつきまとっている。安心できない。
 …金はない。入植者たちを安心させてやりたい。運平はトボトボと総領事館の門を潜った。(つづく)

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