ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(86)

 言論機関も買収された。票決の一週間前の五月十七日、ジョルナル・ド・コメルシオ紙が、爆弾的な排日記事を掲載した。これは新々修正案通過に大きく影響したが、記事を読めば、材料が米側から提供されたことが判る。
 その記事の中には、パラー州でアカラ植民地を建設中の南米拓殖に関する部分があり、偶々、リオに来ていた福原八郎社長が、同紙の記者に、間違い部分の訂正を依頼した。
 その記者は承諾した。が、即日、首になった。二十三年間、同紙に勤務した人間だった。
 アルベルト・トーレス友の会も、言論機関と同様、操られた。
 米国務省系のスパイ網が存在し、日本大使館が本省に送った会議の内容や本省から送られた運動資金の額も探知していた。
 ギブソン米大使は一切を知りぬいて、涼しい顔をしていた。
 現政府の大物オズワルド・アランャ蔵相が、最近、次期駐米大使に決まったが、ギブソンは直ちに接近、何事かを工作した。
 さらに五月二十四日午後からの制憲議会での排日新々修正案の票決直前、ギブソンは、リオの米商業会議所に昼食会を開かせた。
 そこにアランャ蔵相や政界・財界の知名士を招き、支那公使を呼んで一席やらせた。公使は、満州問題を取り上げ、日本のやり方を、こきおろした。
 米大使館の金の撒き方は、本年初頭に激しく、以後、次第に力を抜き、五月初めから票決に至るまでは、再び猛烈にというやり方で、日本の選挙の時の金の使い方と同じだった」
 日伯新聞の方は、これほど整然とした内容ではない。が、以下のような記事(要旨)が所々に出ている。
 「五月中旬からの米の活躍は、どうであろう!百数十万ドルの資金を擁し、日本移民反対の前線闘士にカツを入れた。エージェントは、どうやらタイム・オブ・ブラジルらしい」
 「米は日本をやっつけるため、十分な資金と綿密なるスパイ網で、思う存分、人形を操り」
 「すでに五月十七日には、新々修正案の成立確定の予測が、国務省に打電されていた」
 「(最終採決の前日の)五月二十三日には、裏切りが続出した。裏切りは、この国ではビラカザカといい、日本の倫理感によるそれとは次元を異にする。しかるに日本大使館は、自国の感覚で相手を信じ込み」
 「現政権が、従来の親日的態度を一変して、新々修正案の支持に傾いたのは、ギブソン米大使が五月二十一日にアランャ蔵相を訪問して以降である。
 蔵相は次期駐米大使に決まっている。
 二十四日の議会は、未曾有の混乱状態となったが、アランャの提議により、本会議の採決実施が決まった」
 「アランャはヴァルガスの側近中の逸材で、米と交渉、カフェーと小麦のバーター取引をまとめ、さらに欧米の財界に働きかけ、二〇万ポンドの起債に成功した」
 「翻って米伯関係を見るに、遺憾ながらブラジルは米の言いなりにならねばならぬ立場にある。大金を借りており、カフェー輸出のお得意さんでもある」
 既述の一九三四年四月から五月にかけ、ブラジル政府の姿勢が親日的姿勢から反日的に急変したのは、米大使と蔵相の工作によるものだったわけである。
 ともあれ、日伯、時報両紙とも、大胆に記事を書いたものである。
 ここまで書くのは存亡を賭けた上でのことであったろう。外国語で発行しているという微妙な立場であり、米大使館がブラジル政府に対し、外交問題化すれば、どうなっていたか判らない。

 四〇万円と四〇万ドル

 なお、以上の策謀に関する記事について、両紙はニュース・ソースについては触れていない。(情報提供者に迷惑がかかる畏れがある場合、伏せるのが通例である)
 が、確かな人物のそれでなければ、ここまで踏み込むことはできまい。そのニュース・ソースの一人が後藤武夫であったことは、後に明らかにされている。
 もう一人、ニュース・ソースだったのが長谷川武である。この人は三章で名前が出たが、その後海興の社員になっていた。
 優れたポルトガル語能力を買われ、外事部長としてリオに駐在、政府機関との折衝を担当していた。
 彼もやはり排日法阻止のため、陰で必死になっていた。ゼッツリオ・ヴァルガス大統領に直訴までしていた。

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