小説=「森の夢」=ブラジル日本移民の記録=醍醐麻沙夫=112

 六月二十五日。酷く寒い朝だった。しかし、一人一人の名が記された土地登記証を持った運平は心も身も軽く汽車に乗った。皆の喜ぶ顔を早く見たかった。
 正午にペンナ駅に着いた。
 「酷い霜だった。今朝は二十年振りだという。コーヒーは全滅だろうな。あんたの処はもうコーヒーを植えたのかね」
 馬をあずけてある駅前の家の主人がそう言った。
 「今年初めて植えた」
 「それは……」
 主人は肩をすくめた。
 運平は店先でピンガを一息に呷ると馬に飛び乗ってその尻を叩いた。
 「急げ!急ぐんだ!」
 そう馬に叫んだ。
 霜がとけてぬかるみの山道を馬は泥を運平の背中まではねながら一散に駆けた。
 森を駆けていて気付いたが、葉が赤茶けて爛れている木があちこちにあった。葉の幅の広い木はど霜に弱いらしい。特にカブシンギという大きな葉の木は真赤になっていた。多分、葉だけでなくこのまま木も枯れてしまうかと思われた。火に焼かれたような感じにカサカサに変色していた。
 ザブザブとドラード河を渡り、一区へ馬を乗り入れた河尾の畑のコーヒーの苗は赤く焼けていた。三千五百本全滅。太田の処は手が足りなくてほとんど植えてないがやはり全滅……桜井、四千本全滅……。
 「どうだ!」
 「やられました」
 桜井は苗のそばに坐り込んでいた。
 六区まで来ると生き残っている苗もある。十区、十三区と標高が昇るにつれて生き残っている苗が増えていった。
 運平は家に戻ると指令を出して全員に集ってもらった。来ない者もいた。こんな処よりコーヒー園に戻った方が楽だからすぐ荷物をまとめて出て行く、と言っているのだった。
 確かにその通りだった。全てが初めてなので予測して対策の立てようがない。グヮタパラでコーヒーを知り尽したと確信した運平だったが、まったく知識にない出来事が次々に起ってくるのだった。彼も、他の人と同じように無力だった。自然の前にはまるで産れたての赤子のようなものだった。
 運平は植民地の図面を拡げて霜の被害状況の報告を聞いて記入していった。
×印と○印があちこちに付けられた。やがて、覗き込んでいた人々は
 「ホウ」
 と嘆声を挙げた。
 ○印は生き残った苗である。×印は枯死、△は中くらいの被害……それらは霜の通り路をハッキリ示していた。
 最初、一等地と皆が思っていた低地は根こそぎ×印だった。くじ運が悪くて泣く泣く入った高所のコーヒーは生き残った。十四区の山下永一の六千百本がそっくり残っていた。

最新記事