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「かなり危機的な状態ですが、ここが正念場。好転させるべく懸命に取り組みます」――サンタクルス日本病院が財政危機に陥っている。1月30日付メトロポレ紙、2月4日付フォーリャ・デ・サンパウロ紙、同日付けオエステ紙などが続々と、この1月から解雇された100人以上の元従業員からの「給与や退職金の支払いが遅れている」という声を報道している。5日午前、本紙が説明を求めて二宮正人現理事長に連絡を取った際、冒頭の言葉のような決意を語った。同病院は、皇室の御下賜金を元に、日系社会からの浄財を集めて1939年4月29日に「日本病院」として落成した伝統ある医療機関だ。
二宮理事長は、「誰も火中の栗を拾いたくないので、私が理事長になることになりました。最悪の場合は売却も視野に入りますが、それ以前の段階として可能な限りの救済策を講じます。不義理はできませんから、たとえ売却されたとしてもサンパウロ日伯援護協会から借りている4千万レアルは真っ先に払うつもり」との決意を語った。
22年9月に突然、理事長を辞職した佐藤マリオ氏の後を受け、西国幸四郎氏が22年11月から理事長を任じていたが、つい先ごろ一身上の都合により辞任し、副理事長だった二宮氏の名前を理事長として登記中だという。佐藤氏と共に辻マルセロ院長、財務担当理事も辞職した。同理事は石川レナト評議員会長が兼任している。
二宮理事長は、「財政難のため病床数を大幅に減らした。救急対応や最低限の手術のみできる状態に縮小したので、それに伴って人材も整理した結果、この1月から解雇者が出ています」と現状を説明した。21年には従業員数1300人を数えていたが、フォーリャ紙によれば昨年末で800人程度まで減り、うち約120人が1月から解雇されているようだ。
さらに「解雇者に対しては10日以内に退職金などを払わなければならないが、現在、何とかその資金を工面しているところです」と辛い胸中を明かした。
いつから財政状態が悪化したのかと問うと、「21年3月に石川氏から佐藤氏に理事長を交代した際は、そんなにひどい債務ではなかった。翌22年9月に佐藤氏が理事長を突然辞職し、その時には相当膨らんでいて我々も驚きました」との見解を示した。そこにパンデミックも重なった。
佐藤理事長時代、21年4月に「サンタクルス病院」から「サンタクルス日本病院」に改名とロゴ変更、22年6月に創立83周年記念式典を市内有数の高級ホテル・インターコンチネンタルで盛大に行った。同時期にJICAから約3億円の支援を受けて「がんセンター(COSC)」開所式も行なった。
当時の構想では同センターが今頃は稼ぎ頭になっているはずだった。だが「放射線治療にはライセンスが必要だが、それなしに専門家だけ雇ったりして人件費がかさんだ。今はライセンスがとれたが、人件費がかけられないので本来の役割が果たせていない」と頭を抱えた。