芸術フットボールを追い求めて=沢田啓明=第5回=ネイマール復活の鍵とは=初心に返り情熱を注げるか

サンパウロ州選手権のボタフォゴ・デ・リベイロン・プレット戦(於ビラ・ベルミロ)でサントス復活を果たしたネイマール(Photo Raul Baretta/Santos FC)

 1月31日夜、元ブラジル代表FWネイマールが12年半ぶりに古巣サントスのホームスタジアムのピッチを踏みしめた。
 総立ちの観衆から繰り返し名前をコールされ、満面に笑みを浮かべた。それからおもむろに顔をゆがめ、両手で頭を抱えて嬉し涙を流した――。
 「ここへ帰ってこれて、本当に幸せだ」、「みんなのために、全力でプレーするよ」と熱く語って万雷の拍手を浴びた。
 この光景を見て、スタンドで涙ぐむファンが少なくなかった。
 そして、33歳の誕生日を迎えた2月5日、サンパウロ州選手権の試合で後半開始時からピッチに立った。
 交代出場のためタッチライン沿いに立った時点で、スタンドの観衆が総立ちになった。
 トップ下に入り、広いエリアを動き回る。彼がボールに触る度、立ち上がったままの観衆が歓声を上げる。
 得意のドリブルで突破を図り、意表を突くパスを送り届け、惜しいシュートを2本放った。
 チームは1―1で引き分けたが、試合後、「ここでまたプレーできて幸せだ。これから調子を上げていく」と笑顔で汗を拭った。
 サントスは1―1で引き分けたが、ファンの誰もが笑顔でスタジアムを後にした。

 ネイマールは、12歳で名門サントスのアカデミーに入り、2009年、17歳でデビュー。たちまち中心選手となり、2010年、セレソン(ブラジル代表)に初招集された。以来、セレソンのエースとして活躍し、クラブの先輩でもあるキング・ペレが保持していた通算得点記録77を79まで伸ばした。
 しかし、近年は体調管理を怠るなどプロ意識を疑われる言動が多く、故障が頻発。2023年10月、2026年W杯南米予選の試合で左膝の前十字靭帯と半月板断裂の大怪我を負った。1年後の昨年10月、所属クラブ(アルヒラル=サウジアラビア)でようやく復帰したが、11月の試合で今度は左足の太ももを痛めた。
 以後、リハビリを続けていたが、1月半ば、アルヒラルの監督が「ネイマールはフィジカル・コンディションに問題がある」として今季の国内リーグへの選手登録を見送った。これによって今季プレーできる大会はアジア・チャンピオンズリーグの数試合だけとなり、ネイマールはクラブへの不満を露わにした。
 1月末、6月末の契約満了を待たずして退団を申し入れ、MLS(アメリカ)の3クラブと母国のサントス、フラメンゴからオファーを受けた末、古巣サントスへの復帰を決めた。
 ネイマールのサントス復帰に関しては、賛否両論がある。
 欧州メディアの多くは、「キャリアの終焉が近づいてきた」と辛辣だ。
 ブラジル国内でも、「彼はまだまだセレソンに必要な選手。サントスでコンディションを回復し、セレソンへ復帰して、来年のワールドカップ(W杯)でチームを優勝へ導いてほしい」と期待する声がある一方で、「故障のため、すでに長いこと、本来のプレーができていない。すでにキャリアのピークは過ぎており、もはや多くの期待するのは無理だろう」という厳しい見方もある。
 サントスのファンは彼の復帰に狂喜しているが、ライバルクラブのファンは「サントスとの契約書にサインをしようとして、手首を痛めたらしいな」、「復帰イベントでボールをスタンドへ蹴り入れた際、右足を骨折したんだってな」といった悪意に満ちたジョークを飛ばす。
 筆者も、近年の彼の故障による再三の欠場とパフォーマンスの低下には失望しており、セレソンはもはや彼をあてにすることなく若手選手を中心にチームを編成し、来年のW杯制覇へ向けて準備を進めるべきだと考えてきた。
 しかしながら、2026年W杯南米予選ではセレソンの攻撃の主軸を担うべきヴィニシウス(レアル・マドリー)がクラブとは別人のような低レベルのプレーに留まっており、全日程の3分の2を終えた時点で参加10カ国中5位という悲惨な状況にある(南米からのW杯出場枠は6・5)。
 人間は、ひとつの出来事がきっかけで大きく変貌することがある。古巣へ戻り、クラブ関係者、地元メディア、ファンから熱烈な歓迎を受けて、ネイマールの心にまた火がついたかもしれない。
 もう一度、初心に戻り、自分のすべてをフットボールに捧げることができるかどうか――。彼が復活するか否かは、この1点にかかっていると考える。

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