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ブラジル熟年クラブ連合会(熟連)や東京農大会で会長などを歴任し、1月12日に99歳で亡くなった「五十嵐司氏を偲ぶ会」が遺族と熟連の主催で、2月9日(日)午前10時からサンパウロ市リベルダーデ区の熟連会館で開催された。
会場には、五十嵐さんの遺族をはじめ、熟連関係者、東京農大会、名画友の会、清談会など、生前、五十嵐さんと関係の深かった人々約40人が参加した。
広瀬哲洋熟連副会長の司会で、参加者の紹介や黙祷、熟年讃歌の斉唱などが行われた。会場には遺影や花の他、2009年に五十嵐さんが直筆で「葬式・戒名無用(知友思い出会賛成)、蝋燭・線香禁止(生花・高級香水有用)、宗教・読経不要(音楽・唱歌歓迎)」と書かれた紙が飾られた。
広瀬副会長から「五十嵐さんは香料開発者として尽くされましたから、高級香水はOKですが、線香や香典、読経などは不要ということです。花や懐メロ、映画なども好きでしたから、氏らしい遺言で、今日はそれに則って会を催したいと思います」と説明した。
続いて熟連の辺原良子会長が「五十嵐さんが会長だった15年前に初めてサンベルナルド松寿会から連合会へ参加するようになりました」とサンパウロ本部への初参加の思い出を語った。
さらに参加者一人ひとりから五十嵐さんに対する思い出が語られ、上野美佐男前会長からは「移民百周年には五十嵐さんの発案で地蔵を作り、ブラジルの老人会に合った歌を作ろうと『熟年讃歌』も作られた。「老人クラブ」から「熟年クラブ』と改称も五十嵐さんの会長時代で、氏は大変多くの功績を残された」と話した。
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遺族を代表して、長男のカルロス功氏は「父は生前『同級生の殆どが戦争で国のために死んでしまった。自分は生きているからブラジルにいる日本人のために働くのだ』」と言明していたことを披露。また、教育熱心で3人の子どもをUSPの前へ連れて行き「ここに入らないと3輪車も買ってあげない」と言われ一生懸命勉強したエピソードも話した。
思い出話に花が咲き、昼食をとった後は、次男・リカルド康雄さんの妻・クリスチーナ早苗さんが作ったパワーポイントで、五十嵐さんの人生を豊富な写真とリカルドさんの説明で見る。
五十嵐さんが好きだったというエノケンの「しゃれ男」や尾崎紀世彦の「碧空」を聞き、「おぼろ月夜」「ふるさと」「みかんの花」を全員で歌い、最後には安田功氏がハーモニカで「ジャイアンツ」を演奏し、閉会となった。
16年前に氏が残した遺言の通り、心温まる「偲ぶ会」が執り行われた。