古くて新しい「ニュー美松」=新世代が伝統メニューを現代風に

ラファエルさん、水村さん、玲予(たまよ)さん

 「パンデミックの時、もう閉店かもと思っていた。それで子供たちに相談したら、僕らが継ぐと言ってくれたので本当に嬉しかった。いま私はアジュダンテ(助手)をするだけ」――東洋街の老舗日本食レストラン『ニュー美松』(Rua Galvão Bueno, 475 – Liberdade)の元店主、水村エミコさん(69歳、長崎県出身)はそう笑顔を浮かべた。リベルダーデでは次々に日系店舗が亡くなる中、42年前から続く伝統の味が無くなる中、昨年末のリニューアルで装いも新たに、しっかりと受け継がれている。
 水村さんは長崎県五島列島出身で家族に連れられて4歳で渡伯して、聖州マリリア近郊のヴェラクルスに入植した。バウルーやインダイアツーバなどで転々と農業を繰り返し、17歳だった1973年に出聖。フェイラの魚屋で3年間、こけし食堂で7年間働いた。こけしでは17年間も板前として働いてきた夫と知り合い結婚、1983年に独立する形で『美松』を開店した。夫博親さんは東京都出身で、実家が上野でソバ屋を経営しており、「よく自転車で出前を運んでいた」と昔話をしていたという。
 最初の店は現在の左隣を賃貸して25年間経営し、2008年に現在の場所に引っ越して『ニュー美松』となった。当時夫婦が二人三脚でやってきたが、その頃には夫は人工透析が必要な体となって料理ができなくなり、「お前が続けてくれれば」と言われて調理を担当し始めた。でも2010年に夫が亡くなり、以来、女手一つで店を切り盛りしてきた。人気のメニューを聞くと、スキヤキ丼、鍋焼きうどん、カツ丼、中華丼、天ぷら、かき揚げなど。
 現在の経営者は息子、ラファエル・マサユキさん(29歳、2世)だ。コロナ禍が始まった直後、5年前から経営に携わり、主に調理を担当する。理系の大学を卒業して自動車製造企業スカニアで研修生をしていたが、パンデミックの時に母から相談を受け、継ぐことを決心した。
 ラファエルさんは「以前はメニューが100品以上あったのを、僕らが半分に減らし、寿司や刺身もやめました。一品の量が多いという声を聞き、去年から半ドンを作ったらよく出ています。ベジタリアン用やグルテンフリーのメニューを追加したり、独自の工夫を加えて、それでお客さんが喜ぶ姿を見るのが楽しい」と語った。例えば「ラーメンを食べたいがグルテンが入っているので食べられない」というお客さんの声を聞き、春雨を麺に使ったラーメンを考案した。
 姉の玲予さん(33歳、2世)も大学で観光学科を学んだ。「父が死んでからずっとお店を手伝っていたし、元々お客さんの対応が好きだからこの仕事が自分に合っていると思う。最近はJドラマやアニメを見て日本文化や料理を知り、食べたくなって来店するブラジル人客がすごく多い」という。
 二人の意見を受け入れて昨年末にリニューアルした際、入り口に車椅子用スロープを設け、店内内装も今風に一新した。

改装された入り口

 水村さんは「旦那が教えてくれた味を、そのまま継承している。うちはブラジル人向けの味付けは一切していない。元々の味、Comida Raizそのままだよ」と胸を張った。でも不思議なことに、数少なくなったコミュニティのComida Raizがブラジル人客に受け、今では日系人よりそちらが圧倒的に多くなったという。
 「女剣劇旅役者」で知られる故丹下セツ子さんはこの店の常連で、昼食を食べ終わった後、いつもカツ丼と焼売を自宅用に持ち帰っていた。昔懐かしい「こけしレストラン」の味が食べたくなったら、もうここでしか食べられない。

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