
米国人俳優ジーン・ハックマン氏(95歳)が2月26日、ニューメキシコ州サンタフェの自宅で遺体となって発見された。40年以上にわたるキャリアで2度のアカデミー賞を受賞し、1960〜70年代のハリウッド映画を代表するレジェンドとして名を馳せたが、私生活は謎に包まれていた。ハックマン氏は妻ベッツィ・アラカワ氏(63歳)と愛犬とともに亡くなっており、捜査当局は毒物による殺人の可能性も視野に入れて調査を進めている。
妻アラカワ氏はハワイ州出身の日系米国人だ。サンタフェのレストランでベッツィさんにアジア蔑視の言葉を投げつけた男性とハックマンが殴り合いの喧嘩になったこともあるという。彼女の人物像と、ハックマン氏との深い絆について2月27日付G1など(1)(2)(3)(4)が報じた。
アラカワ氏はクラシック音楽のピアニストで、「Pandoras」というインテリアショップを共同経営する事業主でもあった。彼女はホノルル生まれで幼少期からピアノを学び、11歳でホノルル国際センターのコンサートホールで演奏するなど、早くから音楽活動を始めていた。名門・南カリフォルニア大学では社会学とコミュニケーションを専攻し、卒業後はホノルル交響楽団(現ハワイ交響楽団)で演奏を行った。その後、ロサンゼルスに移住し、1970年代に人気を集めた北米サッカーリーグ(NASL)の「ロサンゼルス・アステカス」のチアリーダーとしても活躍した。
ハックマン氏とは1980年代半ば、アラカワ氏がカリフォルニアのスポーツジムでアルバイトをしていた際に出会い、1991年に結婚。ハックマン氏は前妻との間に3人の子どもをもうけており、アラカワ氏はその継母となった。二人の関係は長年、非常にプライベートなものであり、アラカワ氏はインタビューやSNSへの登場を避けていた。
ハックマン氏が晩年に歴史小説の執筆を行っていた際、アラカワ氏は編集作業を通じて彼をサポートしていた。ハックマン氏は「もし私に文体があるとすれば、それは何度も繰り返した編集や友人からのアドバイス、そして何より妻の執拗で具体的な校正のおかげだ」と語り、彼女の支えが作家活動において重要であったことを明かしている。
ハックマン氏がペンで紙に書いた原稿をアラカワ氏がパソコンで入力し、その際に登場人物のキャラクターについての意見を交換するなど、積極的に創作活動に協力していたという。
米国セレブと結婚した日本人女優や日系女性は数多いが、中でもアラカワ氏は非常に控えめな人物として知られ、メディアの前に姿を見せることはほとんどなかった。
とはいえ1980〜90年代には演奏活動を行い、シカゴ近郊の介護施設でコンサートを開くこともあったが、結婚後は公演を控えていた。それでもハックマン氏の映画撮影現場に顔を出したり、授賞式に出席することはあり、夫のサポート役としての役割に徹していたとされる。
夫妻の死については、捜査当局による調査が続けられており、現時点で殺人の証拠は確認されていない。死因も未だ特定されておらず、現場では開封された処方薬の瓶や錠剤が散乱しており、薬物や一酸化炭素中毒の可能性も含め、検視結果が待たれている。