
第5話 アミーゴの世界
政府相手のめんどうな時間のかかる仕事でも“アミーゴの世界(友人の世界)”で何とかしてしまうことがとても多い。袖のした(プロピーナ、またはエンバイショ・ド・パーノと言われる)も良く使われる。しかしこれは注意しないと相手はだんだんと金額を上げて来るし、ひどくなると癖になって袖の下を使わないと仕事が進まなくなってしまう。
ブラジルはまだまだペーパーワークの仕事が多く、どこに行っても行列の世界でもある。銀行での貯金の出し入れを始め、公共料金の支払い、月賦、クレジットカード、その他さまざまな支払いが銀行経由で行われるためで、今では全ての銀行に自動支払い機があり、システム化が進んで来たにもかかわらず、いまだに長い列はなくならず、30分、1時間と待たされる。
これが銀行にアミーゴでもいれば、列に並ばず、傍から「これ、やっておいて」とすぐ出来てしまう。公共機関でも山になった順番待ちの書類をアミーゴに話を付ければ、いつのまにか下の方から一番上に置くことが出来、すぐに処理される。
日本のように“義理・人情・恩”の存在しないここブラジル。この“アミーゴの世界”の絆は“マイゾウ・メーノス”の世界ブラジルで公私に渡り非常に大事な武器である。人と人の間を結ぶ友情の絆は大いに役立ち、楽しく生活出来るカギなのかもしれない。
例えば、車を運転していて、なんらかの理由により道路警察に捕まった場合でも、道路警察のアミーゴの名前を言うと、「わかった、この次は気を付けて」ということになる。
こんなこともあった。知人の子供が麻薬容疑で警察の留置所に入れられた時、その親が私の家を尋ねて「誰か、警察の人か、または弁護士を知らないか」と言ってきた。あいにく私には警察の友人はいなかったが、後で聞いたら、その日の夜、他の友人を通して、留置所から子供を出すことが出来たと聞いた。
また、良くブラジル人の会話、特に挨拶の時、「オー、メウ・アミーゴ(私の友人)」、「オー、メウ・イルマーン(私の兄弟)」と挨拶を交わし、「オー、ミニャ、フーィリャ(私の娘)」、「オー、メウ、アモール(私の愛人)」とまでなってくる。この様に、人と人の輪は“アミーゴの世界”でいくらでも広がって行く。ブラジルで楽しく、有意義に暮らしていくには、どれだけのアミーゴが出来るかで決まっていくように思う。
この“アミーゴの世界”は肌と肌との触れ合いである握手から生まれる。どれだけシッカリと相手の手を握れるかがアミーゴの深さを表す。また懐かしさのあまり両手で握手するし、抱き合ってお互いに背中を叩きあうこともある(日本でのハグ以上の親近感の表現)。
また相手が異性の場合は、お互いに握手した右手を引き合い、そのままの体勢で相手の右頬、左頬、右頬と3回キス(キスをするといっても唇を相手の頰に当てるのではなく、頰と頰を合わせる感じです)繰り返す。
仕事で親しい顧客や業者さんと挨拶する時でも、私は握手するだけだが、隣のブラジル人は相手が異性の場合「オー・ミニャ・アミーガ」と言って抱き合いキスをしながら挨拶を交わす。それを私は「おいおい、そんなに親しい中なのか」と横目で見ているだけある。異性間のこの挨拶は本当に親しい人か、またはなにか記念の時の特別な挨拶以外はあまり行ってはいけない。ごく自然に行えるように練習しておくと、何かの時に役立ち、親近感を生みだすことができます。
マナウス市の郊外でトロピカル・ホテルという一流ホテルの近くに、ポンタネグラ(黒い先端という意味。たぶん街としてはネグロ河の端っこの場所になるからか?)という市民の憩いの場である。市唯一の海水浴場(海水ではなくアマゾンのネグロ河の淡水の砂浜)があり、そこには野外ステージのほか軽飲食スタンドがある。週末にはミュージックバンドがダンサーを伴ってショーを夜遅くまで開いている。
そこには一夜の歓楽とお金目当ての女性がたむろしており、日本人と見ると、「ポッソ・センター(ここに座っていいか?)」、「メーダ・ベビーダ(飲み物をおぐってくれない?)」、「ケーロ・ジャンタール(食事をしたい?)」と最後はお金目当ての交渉になってしまう。単に夕涼みやショーを見に来た場合は、寄って来た女性になんと言われようと、断固とことわらないと面倒なことになる、相手はあきらめてどこかに行ってしまう。
*追記―このポンタネグラで屋外ステージに一番近い軽飲食スタンドの名は“ラランジーニャ(小さなオレンジ)”と呼ばれている。現在遊歩道のリフォーム工事で一時閉店となり、工事後再開するものと期待していましたが、綺麗になった遊歩道に“ラランジーニャ”は戻ってこなかった。“ラランジーニャ”に関しては、別途小話でお話いたします。