《読者寄稿》災害大国日本ゆえの共栄精神=今こそ世界に模範を示して=サンパウロ州アチバイア 中沢宏一

中沢さんの生家がある唐桑半島の方から見た岩手県大船渡市の綾里崎。左から突き出している岬の先にあるのが椿島、その手前が陸前高田の広田湾、奥に突き出しているのが綾里碕(りょうりさき)、そこの手前が大船渡湾〈Junpei Satoh (Sennin-G), via Wikimedia Commons〉

 3月8日土曜日の朝4時頃目が覚めたら、点けっぱなしのNHKで、私の故郷気仙沼市から東日本大震災の特別番組が実況されていました。東日本大震災は2011年3月11日でしたから、14年前でした。
 震災で親を失くした子供達への勉強、そして、心のケアーの支援のことで神戸市との交流関係の番組です。
 神戸淡路大震災は1995年1月17日で30年前でした。震災遺児達は大学生、高校生の優しい兄ちゃん、姉ちゃんから勉強を教えてもらい、親を失って傷ついた心を励まして頂きました。その子供達は成長し学生となり、関西から東日本大震災で親を失くした遺児達のために活動しました。
 そして、昨年の能登半島地震、また続発する日本全国の水害災害にその活動が繋がれているとのことです。

宮城県最北と岩手県最南端にある唐桑半島から綾里碕までの地図(グーグルマップ)

 遺児達を支援するあしなが基金は、今でも仙台市石巻市陸前高田市に支所を設けて活動をしていて、遺児達が拠り所としたことも報じられました。
 災害大国日本では、イザとなったら支援できる物資の備蓄とボランティアのネットワークが構築されている。日本人の伝統的な相互扶助・共存共栄の思想が綿々と継続されています。
 東日本大震災の時、津波直後の状況はテレビで毎日放映されていました。あの雪の降る寒さの中、被災地では懸命な救出活動と避難民の救援活動が行われていました。そのような厳しい中でも紛争や暴動・略奪行為が起きず、他人を気づかい、譲り合いながら、規律正しい日本人の行動を世界中の人々は称賛しました。
 ところが今の時代になっても、中東のパレスチナ紛争、そしてウクライナ戦争が続いている。それにアメリカのトランプ政権は、自国第一主義を掲げて、共存共栄に反しての弱肉強食の政策を世界に広めている。このような世界情勢の中で、日本国が模範を示せる底力を発揮してもらいたいものです。
 さて昨日10日、燃え続けていた岩手県大船渡の山火事が鎮火して避難指示を全て解除したと発表されました。10日間燃え続けた大規模な山林火災でした。
 実は大船渡陸前高田は岩手県の南端で、私の故郷宮城県の気仙沼唐桑町は北端で隣接しております。私の生家は唐桑半島の岬の方の高台で、陸前高田広田半島と大船渡三陸町綾里半島は真前に見えます。
 唐桑半島は標高100m以下ですが、綾里半島はハワイのダイヤモンドヘッドのような岬と300m以上の標高のある珍しい半島です。
 この度の山火事は、陸前高田広田町、大船渡三陸町、綾里に燃え広がりました。この地方は海から直ぐに山となり、平地はほとんどなく山林は自然のまま、今の時期は枯れ草落ち葉が重なり乾燥してますから雨が降らなかったら燃え広がります。
 子供の頃、この時期に山火事がありました。住民総出で消火したことを思い出しました。すごい燃え方でした。

中沢さんの高校3年(17歳)の夏、陸前高田松原海水浴場で

 ところで被災者には申し訳ないが、津波の後は海底が撹拌されて牡蠣の養殖は倍以上の早さで成長したそうですが、この度の大規模な山火事の灰がミネラルとして湾を豊かにする。どんな結果が出るだろうか。
 NHKのカメラが陸前高田市の巨大な防潮堤を超えて海側を見せてくれました。全て津波によって流された高田の松原が再興されているではありませんか。若い松林が見事に育っている。そして幾度も海水浴をした思い出の砂浜が広がっている。
 津波で低いところは壊滅した気仙沼魚市場が3年後、鰹の水揚げが日本一になりました。「どうして?」と思いましたが、全国の鰹船が気仙沼復興に協力する意味で気仙沼に水揚げしたそうです。
 日本国日本人は協力し合い、より良い所に創造して行きます。災害が起きても共存共栄の国の在り方で、世界に模範を示し繁栄を続けて頂きたいと願うものです。

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