RS大水害から10カ月の傷跡=南援協取り巻く厳しい現実=(1)=住民の懸念は水害の再来

 「まだ下水が復旧していない地域があるとは思わなかった」。南部リオ・グランデ・ド・スール(RS)州ポルト・アレグレ市の大学院生舩江かおりさん(兵庫県出身、55歳)は、復興の遅れに驚く。多くの人々の生活は以前同様に戻ったものの、街中には浸水した水の高さを示す痕が建物に色濃く残り、今もなお、被災前の生活に戻れていない人々も少なくない。昨年4月下旬から降り続いた雨による大水害から10カ月が経った現地の傷跡を取材した。(取材執筆=松田亜弓さん、JICA日系ボランティア)

 かおりさんは昨年12月、恵まれない子どもたちへのクリスマスプレゼントを購入する資金集めのイベントに参加した。そこで目の当たりにしたのが、先述の状況だ。会場は水害で浸水し、昨年10月まで閉鎖していた同州の〝玄関口〟サウガード・フィーリョ空港の北側に位置し、被害が大きかった地域のひとつ。下水問題で家に戻れない住民がほとんどで、人がほとんどいない道はさながら「ゴーストタウンのようだった」と振り返る。
 ブラジル史上最大の大水害がもたらした被害は計り知れない。「ホームレスがすごく増えた。こんなのみたことがない」とセントロ地区に長年住む畠山勲さん(74歳、熊本県出身)は話す。水害時はマンションが浸水したため、友人宅に避難した。2カ月後に帰宅し、感じたのは治安と景気の悪化。「電線泥棒が増えて、この前も近所の人の電線が盗まれた」と話し、日課の卸売市場CEASAへの買い物に行くと、馴染みの農家から「景気が悪くて野菜が売れない」という嘆きを耳にするという。
 ナタリー・ラファイさん(32)は、水害で職を失った一人だ。「働いていた会社は小さく、生き残れなかった」。新たな仕事が見つかるまでは貯金を切り崩しながらの生活だった。母もまた失職したが、60歳の年齢では新たな仕事を探すのが極めて難しかった。

 長期間に渡る断水、停電となった当時の状況をトラウマに感じている人も多い。被害が大きかったセントロ地区に住む上野エリーザ明美さん(31)は、「14日間も電気と水がなかった。午後5時には道が暗くなって強盗もあったと聞いて、初めて道を歩くことへの怖さを感じた」と振り返る。当時、グアイバ川の島に住む人々が船で避難する場面も目にし、温かいお茶とコーヒー、毛布と靴下、靴を到着した船へと運んだ。
 住民の懸念は水害の再来だ。「また水害が起こるのではと怖くなる。水の節約と再利用を今まで以上に心がけている」(52)とグラジエラ・ジャッケス・プレステスさん。水害では水路やグアイバ河沿いに設置される市内23箇所の排水ポンプが浸水で故障したり、停電で動かなかったりしたため水の流入を防げなかったことが被害の長期化につながった。
 市は昨年末、全て修理したとしたが、年明けの大雨では半分が機能していない。また、大水害時は水の供給もグアイバ河とジャクイ川からの水の取り込み口のポンプが浸水と停電で止まり、不十分なメンテナンスと浸水や停電は想定外の事態だったことからポンプが故障し、断水につながった。
 グラジエラさんは「政府が責任を持ち、専門家のアドバイスに従うことを願っている。私たちは港町に住んでいることを忘れてはならない。本来なら防げたはずのことを繰り返さないよう、知恵を持って行動しなければならない」と指摘する。
 水害後は下水が詰まりやすく「グアイバ川も流れてきた砂やゴミで浅くなり、被害が起きやすくなっていると聞く」(かおりさん)という。こうしたインフラ対策は個人単位では難しく、「行政には責任を持って対応してほしい」。市民の足となる電車もセントロまで開通したのは昨年末と、復旧には長い時間を要した。
 気候変動などの影響で〝想定外〟の自然災害が世界中で発生している。その〝想定外〟をどう食い止めるか、復興につなげるのか。市民らの生活を守るために、行政の手腕が試され続けている。(つづく)

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