RS大水害から10カ月の傷跡=南援協取り巻く厳しい現実=(2)消えた日系社会の中心施設

 昨年4月下旬から降り続いた雨による川の氾濫などで、大規模な水害が発生した南部リオ・グランデ・ド・スール州(以下、RS州)。現地日系社会の中心となる「南日伯援護協会」(南援協、本部ポルト・アレグレ市、谷口浩会長)も本部が浸水し、現在も復興に向けた作業が進む。
 建物内は何もなく、ガランとした空間だけが広がる。95%の家具や書類などが撤去され、かつての様子は見る影もない。南援協はポルト・アレグレ市内で最も被害が大きかった地域のひとつ、市北東部のアンシエッタ地区に位置する。同地区は約1ヶ月間水が引かず、本部施設は1階天井部分の約2・3メートルまで浸かった。

 事務作業や会員を対象とした活動は1階で行っていたため、全ての活動に必要な物資は廃棄せざるを得なかった。唯一残ったのは台所の金属製の鍋、唯一2階で行っていた活動の太鼓のみ。1971年の創立から50年以上の歴史が詰まった本部の貴重な資料や記録、会員らの憩いの場所を汚水が奪い去った。
 「時間は経ったけど、下水の嫌な臭いが消えない」。事務局の森口由美さんは悲惨な現状を話す。ボランティアの手で清掃はされたが、高圧洗浄機でも取りきれない汚れが壁に残る。窓ガラスも濁った色がなかなか取れず、タイルが剥がれ始めたところもある。時間の経過でカビが生え始め、建物は中も外もカビだらけになってしまった。
 地区自体も復興途上にある。被災前は企業の事務所や工場、民家が並んでいたが、現在はほぼ1軒おきにある「VENDE(売り)」の看板が目立つ。月に1度、南援協の会報の送付を頼んでいた郵便局も「VENDE/ALUGA(賃貸)」の看板が付いた。
 企業や住民の7割ほどは元の生活・活動に戻れたようだが、人気はすっかり減ってしまった。セントロから南援協前に向かうバスも以前は1時間に2本通っていたが、現在は1本あるかないか。かつては石畳だった道は水害でボロボロになり、アスファルトが敷かれ見た目はきれいだが、「雨水が道路に染み込まない分、余計に浸水になるのでは」(森口さん)と懸念する声もある。

 南援協は南部日系コミュニティの中心だ。水害以前は週2、3度、音楽を使ったエクササイズや手工芸、生け花などの高齢者教室が行われ、会員や近隣住民ら約20人が毎回集まっていた。軽食やお菓子を持ち寄り、会話を楽しみながらアクティビティを行う…そんな時間を毎週の楽しみにしていた会員も多かった。
 また、婦人会の集まりや資金集めのための弁当作りも行っていた。若者も太鼓や日本舞踊の練習などで使い、毎日フル稼働。時間が空いたからと立ち寄る会員らも多く、現地の日系社会をつなぐ拠点だった。畠山勲さん(74歳、1世、熊本県出身)もその一人で、「今は何もイベントがないから行かなくなった。会わなくなってしまった人もいるし、さみしい」とこぼす。
 一部の高齢者教室を谷口会長宅で行ったこともあったが、アクセス面や谷口会長自身の仕事の都合もあり、従来通りの実施はなかなか困難だった。拠点があることで、人々が集まり、活動が生まれる。新たな本部施設の新設は、地域の日系社会を守り続けていくための重要課題だ。(つづく、取材執筆=松田亜弓さん、JICA日系ボランティア)

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