ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(125)

 しかもルーズヴェルト自身、大統領になる時「他国の戦争には介入しない」と公約してしまっていた。
 これが頑丈な枷になっていたのである。米からは開戦できなかった。
 しかし…である。仮にドイツから米国に開戦すれば、どうであろうか?
そうなれば、話は別である。当然、米は自衛のために戦わねばならない。米市民も議会も開戦を認める。枷は自動的に外れる。
 ここで一つの案が浮上してきた。ドイツを挑発し、先に開戦させるという策である。
 ルーズヴェルトは、これを実行した。
 反ドイツ諸国に軍需物資を送った。
 北大西洋上で米艦船にドイツ海軍(Uボート)の動きを探らせ、その情報を英海軍に送信させた。英海軍は、それを使って攻撃をした。
 小規模な軍事衝突もドイツ軍に仕掛けさせた。
 ヒットラーを怒らせ開戦させようとしたのである。
 ところが、ヒットラーは、指揮下の全軍に、米軍との戦いを厳禁する命を下していた。ルーズヴェルトの腹を読んでいたのだ。
 しかしヒットラーは、いずれ米がドイツに開戦すると予測していた。その時は日本が(ドイツから見て)背後から米を攻撃することを望んでいた。
 そうなれば米と戦う意思はあった。が、単独でのそれはなかった。
 ルーズヴェルトはチャップリン主演で、ヒットラーを徹底的に茶化す映画『独裁者』まで制作させた。が、ヒットラーは動かなかった。
 ルーズヴェルトは手詰まりとなった。

 一杯喰わされた!

 ところが、ここで新たな案が、また浮上してきた。ドイツに代わる挑発相手が存在するというのである。
 それは日本だった。
 何故、日本だったのか?
 五、七章そしてこの章で記した様に、日米関係は、第一次世界大戦後、悪化の一途を辿っていた。それが支那事変以降、一段と険悪化していた。
 そうした中、一九四〇年九月、日本がドイツ、イタリアと三国同盟を結んだ。
 そこで、米が支那援助を理由に、日本を追い詰める。とことん追い詰める。挑発する。激怒させる。日本から開戦させる。米は応戦する。
 そうなれば、日本と同盟関係にあるドイツも対米開戦をするであろう。
 米は欧州での戦争にも参入できる。
 この案が浮上したのは多分、三国同盟締結後、徐々にであったであろう。固まったのは、日米諒解案が流産した一九四一年四月以降の筈である。
 しかし問題は勝てるかであった。
 日本だけなら勝てるだろう。総合戦力で比較すれば、圧倒的に米国が有利である。しかしドイツまで相手にした場合はどうか?
 今少し勝利の条件が整うのを待つ必要があった。
 同六月、ルーズヴェルトにとって再び奇跡が起きた。
 ドイツがソ連に侵攻したのである。米が西から攻撃すれば、ドイツを挟み撃ちにできる。勝利への見通しは立った。行動を起こす時だった。
 ルーズヴェルトは、ワシントンでの日米交渉を、支那事変の平和的終結ではなく、日本を挑発、開戦させるために利用する様に作戦を切り替えた。無論、日本には内密に。
 翌月、支那の日本軍が、南部仏印に進駐した。蒋介石が新たに造った輸送路を封鎖のためである。
 ルーズヴェルトは、これを機に在米日本資産を凍結した。
 さらに翌八月、決定的な手を打った。日本への石油輸出の全面禁止である。英、オランダもこれに倣った。
 日本は、鉄だけでなく石油も殆ど米から輸入していた。在庫を使い切った後は、血液が枯渇した人体の様になる。ほかに供給国があれば良いが、それは無かった。
 ルーズヴェルトは、石油禁輸を決めた会議の席上、
 「これで日本はオランダ領インドネシアに向かうであろう。それは大西洋での戦争を意味する」と漏らしたという。
 インドネシアは、石油の産出地だった。日本は、その石油を確保するため、侵攻する。その戦火は米、ドイツを巻き込み、大西洋まで飛び火するという意味であろう。
 実際には少し違った流れになるが、ルーズヴェルトのその言葉は、この石油禁輸を「日本に開戦させるためにやった」ことの裏付けになる
 ところが、日本政府はワシントンでの交渉で、禁輸を解除させようとした。まだ、それが出来ると思っていたのだ。米の作戦転換に気づかず妥協と譲歩を重ねた。(つづく)

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