
パナマ運河に対するトランプ大統領の言いがかり
トランプ米大統領の就任演説(1月20日)は、これまでの常識を覆す問題発言が多かった。ここでは、パナマ運河に対するいくつかの問題発言を取り上げ、その背景と狙いを割り出してみたい。
大統領のスピーチ後半で「・・マッキンリー大統領は関税と自身の才能によって我が国を非常に豊かにした。セオドア・ルーズベルトにパナマ運河を含む多くの偉大な事業の資金を与えた。・・パナマ運河は米国からパナマに軽率に引き渡された。・・私たちは決してすべきでなかったこの愚かな選択によって非常に悪い扱いを受けてきた。パナマの我々への約束は破られた。・・米海軍を含め、米国の船は過大な料金を科され、いかなる形においても公平に扱われていない。何よりも、中国がパナマ運河を運営している。我々はパナマ運河を中国に渡してはいない、パナマに渡したのだ。そして今、取り戻すのだ」と。
中国がパナマ運河を経営?
「中国がパナマ運河を運営している」と言うのは、トランプ流〝ディール〟であろうが、余りの現実無視の発言で全体がウソっぽくなってしまう。
パナマ運河の経営は、「パナマ運河庁」が毎年発行する「年報」で一目瞭然。運河経営がパナマに全面移管された2000年以降、パナマ政府の一機関になった「パナマ運河庁」の全経営陣(理事会11名、事務局役員12名)は顔写真入りで紹介される。運河大臣をトップとする理事会メンバーは、パナマ大統領とパナマ国会で任命される。事務局役員は、全員が運河庁職員(約8千名強)からの生え抜きだ。運河経営の財務諸表は、世界で名の通った監査法人が監査している。
トランプ流の「無知を装った攻撃」を受け、初めは寝耳に水で一見狼狽したが、パナマ大統領は、直ちに今回の言いがかりは「全て虚偽、ウソ」だと反論すると同時に中国の「一帯一路」からは脱却すると宣言した。
マルコ・ルビオ新国務長官による〝運河中国支配論〟

トランプ大統領就任後、新任の国務長官マルコ・ルビオ氏(キューバ系移民2世)は、初の公式訪問先としてパナマと中米諸国を選んだ。パナマで長官は、運河両端にある五つのコンテナ港のうち、二つが、香港資本(ハチソン・ホールディング)によって経営されている。中国政府の指令を受け運河を支配する危険性があると発言。
パナマ政府と長期契約を結ぶコンテナヤード経営の民間企業が、何のために、どうやって、運河を支配すると言うのか? 確かにコンテナヤードは運河水路と平行して建設されている。そこに船の1隻でも沈めれば、運河航行はストップしてしまう。
しかし、今や、中国はかつての日本に代わりアメリカに次ぐ第二の運河利用国だ。運河通航不能による第二の被害国は中国となりうる。何のメリットがあるのか?トランプ政権の狙いは何なのか?
※本稿出稿直後の3月4日、ハチソンは、パナマの上記2港を含む世界23カ国、40数カ所の港湾運営権を全てアメリカ資産運用会社ブラックロックに売却したと発表した。〝パナマ運河中国支配論〟は、論拠を失うことになった。ハチソン側は、今回の売却は、国際政治動向とは無関係だとも述べている。
パナマ運河の脆弱性
現在もパナマ運河は、米海軍の重要な水路である。
第2次大戦中、日本帝国海軍はパナマ運河爆破計画を練り、実行の一歩手前まで進めたが終戦で実現しなかった。目的は米軍艦の運河通航妨害。さらに、第2次大戦後の東西冷戦期には、敵性国家ソ連と社会主義国キューバがパナマ運河を攻撃し支配する可能性を米国防総省が真面目に検討している。
また、パナマのトリホス将軍は、運河条約交渉が停滞すると「それでは、パナマ運河を爆破するだけだ」と米交渉団を脅かし続けた。さらに、「新運河条約」締結後、謎の飛行機事故(1981年)で急逝したトリホス将軍の後を継いだ国防軍総司令官ノリエガ将軍も、運河爆破予告をしていたとして、1989年末の米ブッシュ政権の軍事侵攻の口実とされた。
パナマ運河は閘門式運河のため、一つの閘門(特にカリブ海側のガツン閘門)が破壊されれば、ガツン湖の貯水が一気に失われ、1~2年は運河操業が不可能になる。米海軍の両洋間オペレーションも完全に失われてしまうという脆弱性を持っている。
パナマ運河の移譲は愚かな選択だった?
トランプ大統領は「運河を軽率にパナマに引き渡した」ことは「愚かな選択だった」と述べ、「運河をとりもどす」と主張している。
このくだりは、かつて1977年、カーター米大統領(民主党)とパナマのトリホス将軍との間に調印され、米上院で7カ月近く議論された後、1票差で批准された「新運河条約」を巡るアメリカ国内の深刻な利害対立を彷彿とさせる。
両国が締結した「新運河条約」は、1999年末日を以て、運河の管理運営権は全てパナマに移譲される。同時に運河防衛を名目に、西半球(中南米)の安全保障を確保(実際は米国による力による中南米支配)するためパナマ運河地帯に常駐する「米南方軍」を全てパナマから撤収するという、米外交政策の歴史的大転換を意味していた。
他方、パナマにとっては、1904年の「旧運河条約」により米国領とされたパナマ運河地帯(両洋間の長さ80キロ、巾16キロ)を、長年の領土主権闘争を経て、ついに自国領に帰属させることに成功した歴史的成果でもあった。
1977年9月、ワシントンの米州機構(OAS)本部で、トリホス将軍とカーター米大統領との間で「新運河条約」が調印された。全部で14カ条からなる「運河条約」(Panama Canal Treaty)と8カ条からなる「永久中立条約」(Permanent Neutrality Treaty)がワンセットで調印された。
くせ者の「永久中立条約」、トランプ政権の運河返還要求の根拠?

「運河条約」と並んで調印された「永久中立条約」は、アメリカ下院議会で提起され、さらに上院で補足された〝追加的条約〟であった。当時の国際情勢の中、キューバ、ソ連がパナマ運河を奪取する目的でパナマに干渉してくるかも知れないという危機意識が背景にあったようだ。
運河防衛については、「運河条約」の第4条「保護と防衛」の中で、「それぞれの国はその憲法上の手続きに従って、パナマ運河の保護と防衛を行うことを約束する」と定めている。つまり、アメリカの一方的判断で運河防衛ができるということだ。
しかし、「運河条約」そのものが2000年で期限切れで、それ以降の軍事的行動の法的根拠はなくなる。ここで上院のデ・コンチニ議員(アリゾナ州、民主党)が修正条項を提起した。それは、パナマの国内問題、労働紛争、ストライキ、暴動などで「運河が閉鎖された場合、又はその操業が妨害された場合は、米国は運河再開、又は運河の操業再開に必要と思われる措置をとる権利を有する」とするものであった。
当然ながらトリホス将軍は、これは、パナマへの内政干渉の色彩を色濃く反映したものであり、旧条約と同じ永続的条約になるとして猛反発した。
結局、米パ交渉の最終局面で、トリホス将軍と会談したカーター大統領は、この追加条約が受け入れられない限り、「新運河条約」が米議会で批准されることはないであろうと説得し、やむなくトリホス将軍が受け入れたという曰く付きの「永久中立条約」だ。
トランプ大統領が「中国が運河経営を行っている」というレトリックの背景には、この「中立条約」を根拠としている可能性がある。つまり、〝敵国〟中国がパナマ運河を支配しているという〝危機意識〟を描き出し、運河防衛を名目に米政府が一方的に(軍事を含め)干渉する権利を発揮しうると言うロジックだ。参考になるケースを以下で取り上げてみよう。
ノリエガ将軍討伐のための米軍事侵攻
トリホス将軍の謎の死後(1981年7月)、パナマ国防軍では情報部長のノリエガ将軍が実権を握った。米国では、カーター大統領の後、共和党レーガン大統領が就任(81年1月~89年1月)。レーガン大統領は「パナマ問題はアメリカの退却と弱さのシンボルである、パナマはアメリカゆえに存在している国に過ぎない」等、過激な発言を繰り返していた。
これに対抗し、ノリエガ将軍は「我々は運河返還まで絶対に後戻りしない」と叫び、反米姿勢を鮮明にして行った。87年、一部の米民主党上院議員がパナマ民主派勢力に加勢し、反軍部・民主化運動を活発化させ、国内政治状況が混乱した。さらに米政府の米ドル供給停止措置等で、経済状況も悪化。
1989年末、世界の耳目がベルリンの壁の崩壊(11月)や、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊劇(12月)に集中していた。このタイミングを見計らい、米ブッシュ政権は12月20日深夜、パナマに軍事侵攻した。表向きの理由は、パナマ国防軍による民主主義の弾圧、米軍人に対する拷問・殺害(1人)、麻薬取引等であった。しかし、裏には、ブッシュ大統領がCIA長官時代、情報部長ノリエガ将軍との特殊関係が中間選挙前に暴露されるのを事前に潰しておく必要があったからだとの噂もあった。
在パ駐留の米南方軍と米国内6カ所の軍事基地から増派された陸・海・空軍は、虫けらのようなパナマ国防軍を数日で壊滅させた。新年早々、バチカン大使館に亡命中のノリエガ将軍が投降、マイアミ刑務所に護送され一件落着。ブッシュ大統領はTVで軍事侵攻の理由を説明した際、ノリエガ将軍が運河破壊を通告していたので、運河防衛の必要があったと付け加えた。しかし、それが「永久中立条約」に抵触するものであるのかどうかには言及しなかった。この時の軍事作戦は、必要とあれば、パナマ運河防衛を名目に米本土からでも出撃できることを実証した点で重要であった。
しかし現在、パナマ運河防衛を名目に軍事侵攻する状況が整っていないことも事実だ。
トランプ政権の“落とし所”は「運河通航料金」の引き下げ?
トランプ大統領は、「・・米海軍を含め、米国の船は過大な料金を科され、いかなる形においても公平に扱われていない」と述べている。確かに運河返還後の2000年以降、運河通航料金の引上げは、ほぼ2年毎になされ、2倍強に引上げられている。とは言え、「米国の船が不公平な料金を科されている」という根拠もない。料金引き上げに際しては、「運河庁」は全利用者から一定期間意見を聴取し、回答を試み、最後にパナマ政府と議会の承認を得て実施している。

トランプ政権は、通航料金の値上げを牽制し、できれば米艦船には優先的、特別料金扱いを実現させたいのかも知れない。ルビオ長官がパナマを訪問後、米国務省は「特別扱いでパナマと合意した」と発表した。即刻、パナマ大統領は「それはウソだ」とはねつけている。
運河利用国第1位の米国は、全通航量(過去10年間平均で2・5億トン)のほぼ74%を占めている。その料金負担は、全通航料金収入23・6億ドル×74%=17・5億ドルになる。この金額が多いか少ないか。恐らく、パナマ運河庁は、「それでは、南米最南端のホーン岬を回るルートもありますよね」と強気の返答をすることだろう。(完)
【主な参考文献】
拙著「パナマ運河、百年の攻防と第二運河構想の検証」(2000年、近代文芸社)
拙著「パナマ運河拡張メガプロジェクト」(2007年、文眞堂)