ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(131)

 彼が堂々と語る話の中には、物事が自分に有利に働く様に、平気でつくウソも含まれていた。
 スターリンとは友好関係にあった。スターリンの侵略政策、独裁、大量粛清を黙認していた。彼の政権内には、ソ連のスパイが二〇〇人以上も居た。
 人種差別主義者で、特に日本人を極端に嫌った。
 「日本人の頭蓋骨は我々より二千年遅れている」
 「欧米人とアジア人は交配させるべきだ。が、日本人は排除する」などの発言がある。
 この点は注意を払う必要がある。その極端な日本人嫌いが、彼の対日政策に影響した可能性があるからだ。
 彼の母親の実家は、支那で巨額の財をなした。だから、支那に非常な親近感を持っていた。しかし、その財をなした手段はアヘンの取引だった。 親戚の同姓セオドアは、すでに大統領を務め、名声を残していた。ルーズヴェルトは彼に対する強い競争心を持っていた。
 第二次世界大戦への参戦で、米国経済は大不況から脱出、大好況となった。加えて、この人類史上、最大の戦争の勝利で、ルーズヴェルトは米国に於いては史上最も偉大な大統領と評価されることになった。
 その評価は、戦後長く動かなかった。
 しかし、前記のフーバーは、早くからルーズヴェルトを〝狂気の男〟と決めつけていた。
 彼は戦後訪日した時、GHQの総司令官マッカーサーに、こう言ったという。
 「日米戦争はドイツと戦争するための口実だった。あの戦争の責任は、総て狂人ルーズヴェルトにある」
 かくの如くであり、結論として言えることは、一九三三年のルーズヴェルトの大統領就任から一九四一年の開戦までの日米間の歴史をつくったのは、
 「大不況からの脱出、自身の名声確保という野心を達するため、戦争を始める。そのため日本を挑発する」というルーズヴェルトの陰謀であった。
 その右腕だったのがハルである。
 日本は、彼らの挑発に乗ってしまい、敗北した。
 また、日本政府は重大な判断ミスを犯したという指摘もある。
 「ハル・ノートは最後通牒ではなかったのに、そう判断してしまった。またハル・ノートを受け取った時、それを公開すべきであった。そうすれば、米国の総ての政治家、総ての市民の間で大問題化、局面の大転回が起こる可能性があった」
 という内容である。
 ここで気づくのは、ハル・ノートの冒頭の「厳秘、一時的にして拘束力なし」の文言の意味である。あるいは、このノートが表面化、問題化した場合に備えて記した可能性がある。
 つまり内容は「ハルの仮の提言であり、米政府の公式の要求ではなかった」と言い逃れするつもりだったのかもしれない。
 付記することもなかろうが、本章の始めの処で記した大東亜戦争に対する「日本の帝国主義、軍国主義による侵略であった。日本は悪であった。負けて当然」という史観は、真実を全く反映していないということになる。
 それに気づかず、長く信じ込み続けている日本人は、GHQに押し付けられた太平洋戦争という名称を使い続けている日本人と共通する甘さがある。

ブラジルでも日本敵視政策

 最後に我々は、本書の五、七章で記した次の事実を、思い出すべきであろう。
 ルーズヴェルトが初めて大統領に就任した一九三三年、国務長官となったハルは、ブラジルを訪れ、日本が国策として移民を大量に送り込み、拓殖事業を大規模に行っていることを知った
 ハルは、ブラジルを自国の縄張りと思っていた。その縄張りを日本政府と日本人が荒していた。
 折から、首都リオで開かれる制憲議会で、排日法案が提出されることをハルは知った。そこで在ブラジルの米公館を使って、これを成立させた。そのため莫大な資金を使って議員を買収した。
 それによって日本のブラジルに対する国策を潰した。無論、日本人嫌いのルーズヴェルトの了解の下に。
 英も協力した。
 その後も、米の在ブラジル公館は、日系社会を監視し続け、政府に圧力をかけて、日本語学校を閉鎖させ、日本語新聞を廃刊させた。
 無論、ワシントンの日本に対する敵視政策に連動していたのである。
当然、その連動は、一九四一年十二月の日本の対米英開戦後も続くことになろう。
 米の在伯公館が日系社会に対し、どう行動するか、それが問題だった。

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