宮中晩餐会における天皇陛下の歓迎のお言葉

※原文はポルトガル語で編集部が意訳した。

 このたび、国賓としてわが国を訪問されました、ブラジル連邦共和国大統領 ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ閣下ならびに令夫人を、心より歓迎いたします。
 本年は、日本とブラジルの外交関係樹立130周年にあたります。1895年に始まった両国の交流は、この130年間で、政治や経済のみならず、文化やスポーツをはじめとする多岐にわたる分野へと広がり、近年ますます緊密なものとなっております。日本を訪れるブラジルの方々の数は年々増加しており、現在、およそ21万人のブラジル人の皆様が日本に在住し、日本の経済活動や地域社会の活性化、人と人との交流に重要な貢献をされています。また、日本各地で毎年ブラジルフェスティバルが開催されていると伺っております。ブラジルにおいても、若い日系人の方々の活躍により、アマゾン地域をはじめとする全国各地で日本祭りが大きなイベントとして催されていると聞き、大変嬉しく思います。
 本年の「日本・ブラジル友好交流年」を通じて、両国の友好関係がさらに深まることを心より願っております。
 振り返りますと、私が初めて外国を公式訪問したのは1982年のブラジルでした。当時のジョアン・バプチスタ・デ・オリヴェイラ・フィゲイレド大統領ならびにブラジル国民の皆様から温かい歓迎を受けたことを、今も鮮明に覚えております。その際、広大で多様性に富むブラジルの大地と、明るく陽気な国民の皆様の姿が深く印象に残りました。
 また、2008年には、ブラジルへの日本人移住100周年を記念して再び訪問する機会を得ました。その際にも、ブラジルの大統領としてルーラ閣下より温かく迎えていただきました。17年の時を経て、こうしてルーラ閣下と令夫人を日本にお迎えし、この晩餐会を催すことができますことを、大変感慨深く存じます。
 ブラジル訪問の際、私は、初期の日本人移住者の皆様が使われた手作りの道具や資料を拝見し、彼らが異国の地で懸命に努力を重ねながら生活を築かれたことを改めて深く感じ入りました。日本人移住者ならびにその子孫である日系人の方々は、ブラジル社会の発展において欠かせない存在となっております。そのような中、移住者の皆様を温かく迎え入れてくださったブラジル政府およびブラジルの皆様のご厚意を忘れることはできません。本日の晩餐会には、日系社会を代表される方々もご出席くださっており、両国の友好関係の発展に尽力されていることに、深く感謝申し上げます。
 長年にわたり、日本とブラジルは様々な分野で協力を重ねてまいりました。持続可能な発展の分野では、ブラジル北部において、日系ブラジル人の農家の方々が、胡椒や熱帯果樹、林業を組み合わせた森林農法のシステムを開発されました。また、日本から専門家を派遣し、熱帯果実の加工工場の設置を支援することで、土地の持続可能な利用と森林保全が今日まで維持されております。さらに、かつては農業に適さないとされていたブラジルの広大なサバンナ地帯「セラード」の開発においても、多くの日系ブラジル人の方々がJICA(国際協力機構)の支援のもと努力を重ね、農業生産地へと発展させました。私自身、かつて二度にわたり、現在のブラジル農業研究公社(Embrapa)にあたる「セラード農業研究センター」を訪問したことがあります。今日、ブラジルが世界有数の食料供給国となったことを、長年の協力の成果として、大変嬉しく思います。
 近年、気候変動の影響により、世界各地で多くの自然災害が発生しております。昨年、ブラジルのリオ・グランデ・ド・スル州では豪雨による洪水が発生し、多くの尊い命が失われ、多くの方々が被害を受けたことを、大変悲しく思いました。被災された方々の一日も早い復興を心より願っております。また、昨年、日本においても、能登半島地震をはじめ、豪雨による災害が各地で発生しました。今後も、日本とブラジルが環境問題や気候変動対策、自然災害の防止と対応において協力を続け、世界のために貢献していくことを願っております。ルーラ閣下がこれらの課題に対して強い関心をお持ちであることに、深く敬意を表します。
 現在、東京では桜の花が咲き始め、日本は美しい春を迎えようとしております。ルーラ閣下ならびに令夫人のご訪問が、有意義なものとなり、多くの良き思い出をお持ち帰りいただけることを、心より願っております。
 ここに、ルーラ閣下と令夫人のご健康ならびに、ブラジル国民の皆様のご多幸をお祈りし、乾杯いたします。

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