ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(133)

 当初は好意的だったブラジル人

 話は少し変わるが、日本の開戦と戦況に対するブラジル人の反応は、当初は好意的であった。香山六郎回想録に次のような部分がある。
 「(開戦の日)私は中心街に出てポ語新聞を買いニュース欄に眼を通した。街頭で周囲の騒々しい人波もシンとしているように感じつつよんだ。私の肩を叩く人がある。伯人だ。見知らぬ。日本は、とうとう始めたな、とニッとして行ってしまった」
 当時、首都リオ・デ・ジャネイロに居った日本大使石射猪太郎は後に『外交官の一生』という自伝を著しているが、その中に以下の様な部分がある。
 「十二月七日夕刻、リオのラジオが真珠湾の急襲を報じた…(略)…日本政府から次々と訓令が飛来した。私の当面の任務は取りあえず宣言された伯国の中立を、どこまでも確保する事であった。私はアラニヤ外相を訪問して…(略)…日本の対米開戦が、豪も中南米諸国に脅威を与えるものでないゆえんを述べて、伯国の局外中立維持を要望した。
 新聞記者会見においても、この趣旨を強調した。…(略)…私が参謀長ゴエスモンテイロ将軍に会見して、中立維持を要望すると、日本大使は急所を心得ている、とリオ新聞が書いた。
 伯国の新聞論調は日本に悪くなかった。
真珠湾といい、馬來沖といい、素晴らしい戦果なので、その当座どこへ行っても話しがしやすかった」
 文中のアラニヤ外相はアランャ外相、参謀長ゴエスモンテイロは陸軍参謀総長ゴイス・モンテイロ、リオ新聞はリオの新聞のことであろう。馬來沖はマレー沖である。
この石射自伝には、
 「情熱的なブラジル民衆は、日本陸海軍の精鋭さを称賛し、米英海軍の間抜けさを嘲笑う傾向さえ示した」
という一文もある。

 米英の策動

 しかし他方で、日系社会にとっては意外な現象が起きていた。
その一例が岸本丘陽著『南米の戦野に孤立して』に記されている。凡そ次の様な内容である。 サンパウロ市内ラッパ区で、五十家族ほどの邦人が、アルモレという米国人が所有する土地を借りて営農していた。
 借りる前は無価値同然の荒地であった。それを数年かけて開墾、相当の資金も投じて粉骨砕身、見渡す限り見事な野菜畑とした。地価も数十倍に上がっていた。
 ところが、日米が開戦すると、アルモレは入植者を呼び集め、一切の契約を無効にすると通告、二十日以内の立ち退きを要求した。
 入植者の道理を尽くしての抗議も聞き入れなかった。一切の代償なしに…である。
 皆、何もかも捨てて立ち去らねばならなかった。
 岸本は、その情景と入植者たちの無念さを描写しつつ、悲憤慷慨している。
 この話、筋書きが三文小説並みで、アルモレなど絵に描いた様な悪役ぶりだ。ために筆者は、最初は現実感が伴わなかった。
 しかし暫くして、サンパウロの日本総領事館が、開戦のほぼ一カ月後、日系社会に配布した書類を見つけ、それに目を通した時(やはり事実だったのか!)と呆れた。
 書類というのは、この重大な時局下の邦人の心構えを説いたもので、以下は、その一部である。(平仮名の部分は原文ではカタカナ)
「…(略)…尚度々申しあげた様に新聞雑誌に事實無根の反日記事を掲げさせ又殊更にアマレーロ(黄色)と云う言葉を使って日本人に對するブラジル人の人種的反感を唆りその他密告、中傷、流言蜚語の散布等某国方面の策動は益々執拗なものがあり他面又日本人から買わぬ、日本人に売らぬ、日本人に対する債務は払わぬ、日本人を解雇する、口実を設けて日本人との契約を破棄するといった様な英米の日本人ボイコットが行われて居ることは、御承知の通りでありますから… (略)…。

 昭和十七年一月十三日
 在サンパウロ
 大日本帝国総領事館」

 文中に「口実を設けて日本人との契約を破棄する」という部分がある。アルモレの件は、その一つであったろう。
 他にも、文中にある様な陰険な策動が、多数始まっていたのである。
 なお、この警告文には、読者を迷わせる部分がある。策動の主を某国とし、数行後にはボイコットの主を英米としている点である。
 某国とはどこの国を指しているのか? 全文の文脈から判断すれば、米英である。また、この段階では米英以外にありえない。(つづく)

【記事修正】
 三月二十五日付け131回記事、中頃近く、「かくの如くであり、結論として言えることは、一九三三年のルーズヴェルトの大統領就任から一九四一年の開戦までの日米間の歴史をつくったのは」の部分は、
「かくの如くであり、結論として言えることは、一九四一年の開戦を引き起こしたのは、」と、修正させていただきます。(執筆者)

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