ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(139)

 国交断絶後も、以前と変ることなき好意をもって礼遇し、今日に至っておるのであります。
 日本政府は、中立国たるスペインの大使を通じ(日本の)大使、総領事に対する不当な監禁を即時解除するように交渉中であります」
 結局、報復措置は取り消された。やはりデッチアゲだったのだ。右の放送時、東京ラジオは、
「日本は今日まで、南米諸国に対し、北米のデマ宣伝に乗ぜられないように再三注意を喚起してきたにもかかわらず、ブラジルでは、今回北米のデマ宣伝を信じ…」 
 と、抗議している。
 なお、岸本書によると、九日の新聞記事が出た時、ある邦人歯科医の診療所で治療を受けた一ブラジル婦人が、治療代の支払いを、金切り声を上げて拒否、そのまま立ち去るという騒ぎが起きた。
 無論、記事の内容を理由にしてのことである。歯科医が追いかけて婦人の袖をとらえると、烈火のごとく怒り、警察に訴えると大声で喚きたてた。ために歯科医は諦めたという。 
 米英の策動は、この様に一般市民を躍らせ始めていた。

 警官が狂暴化

 同じ三月。
 警官による枢軸国人の家宅捜索が、頻々と行われるようになった。スパイ容疑である。
 しかも、そのやり方は狂暴化していた。邦人の場合は次の様な具合であった。
 警官たちが、日本人宅なら何処でも…という具合に無差別に、拳銃を片手に乗り込んだ。家中を荒らしまわり、散乱させ、後片付けもしないで引き上げて行った。
 机の抽斗に金でも見つけると、奪っていく。それを阻むと、後から執拗な嫌がらせをする。
 しかも、家人を警察へ連行、留置することもあった。 
 警官が金を強奪するなどということは、日本人には信じられない行為だった。が、この国では、彼らの伝統的悪弊であった。

 半田日誌。
「三月八日…(略)…コンデ方面では、大分、警官に家宅そうさくされたという話をきいた。目的は武器押収にあったらしいが…(略)…カミソリまで持って行った。
 河辺さんのところでは、お金を二百ミルぬすまれたそうだ。大勢でドヤドヤとやってくるので、とても目をくばっているわけにはゆかない」 岸本書には、以下の様な話が記されている。
 場所は、サンパウロ市内の中心部近くエスツダンテス街。ここで印刷業を営む山口家が、ある夜、ピストルを手にした刑事たちに襲われた。家宅捜索ということだった。
 主人は外出中、子供は不意の闖入者に怯え、母親に小さい身体を摺り寄せオドオドしていた。
 刑事の一人が、机の抽斗に入れてあった金を見つけ、取り出した。母親が駆け寄り、
「イケマセン。それは私たちの命を支えてゆくお金ですから、持っていってはイケマセン」
と必死に制止した。
 刑事は手にした金を投げつけ、家中を荒らしまわって引き上げて行った。それを一晩中かかって片付けると、翌日またやってきて、同じことをした。
 結局、これを三回やった上「四日以内に立ち退け」という命令書を送りつけてきた。一家は、泣く泣く印刷機や家財を投売りして、立ち退いた。
 一方で、名の知られた邦人を次々と警官が連行・留置するという変事が起きていた。

半田日誌。
 「三月十八日 皆、理由なんかない。何か日本人社会で重きをなしていそうな人間をつかまえて、第五列だとかなんとかこぢつけてしまう…(略)…しゃくにさわる」 
 なお、警官が邦人を連行する度に、新聞は「またも日本人スパイを捕縛す」と、わざとらしく書き立てた。
 こうなれば、読者は日本人のスパイがうじゃうじゃ居る、と思ったであろう。ブラジル人と日本人の中を裂くには極めて効果的だった。
 警官の動きは、サンパウロ以外でも同じで、筆者は、その被害者二人から直接、話を聞く機会を得た。
 その一人は中野文雄といった。聞いたのは二〇一八年のことである。
 中野は九十七歳になっていた。事件が起きたのは「多分一九四二年三月頃……」というから、サンパウロで警官の狂暴化が始まったのと同じ時期である。
 七十六年前で、中野は二十一歳くらいだった計算になる。以下はその話である。
 「当時、ウチはパウリスタ線のバラ・ボニータで四〇アルケールの棉を植えていた。その日、剣付き銃を持った州警兵が十数人やってきて、家の中を荒らしまわった。仏壇まで荒らした。(つづく)

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