ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(141)

 「国交断絶の後、五回、家宅捜索を受けました。夫は石材店を営んでいたのですが、石を切る時に使うノミを研ぐ際に出る火花が沖に居るドイツ海軍の潜水艦に連絡していると警官に疑われたそうです。これには二人で大笑いしました。が、警察は本気でした」
 登記の証言、続く。
「夫が突然、行方不明になりました。警察へ行くと、同じような人が大勢いたようで、ドイツ人の女性が『夫を出せ!』と」。
 私には、警官が『あなたの夫は島に行ったヨ』と。その島イーリャ・ダス・フローレスへ行きましたが、面会は叶いませんでした。
 後で夫から聞くと、島では朝日新聞の荒垣さんが同室に居って、新聞紙で袈裟を作って、お経を読むふりをしながら、猥談をしていたそうです。夫は、ものすごくおかしかった、と話していました」
 この荒垣とは、リオに駐在して居った荒垣秀雄のことである。その後帰国、戦後長くコラム「天声人語」を執筆した。好評であった。
 邦人に対する家宅捜索、その連行・留置は他州でも、盛んに行われた。
 例えば三月二十七日、(現在の南マット・グロッソ州の州都)カンポ・グランデの近郊、日系のセローラ植民地の住民たちが、警察に引っ張られ二、三週間に渡って訊問を受けた。
 この様に、広範囲にわたって行われた日本人狩りは、何度も記した様にスパイ容疑でなされ、新聞で報道されたが、共通していたのは、警察がスパイであることの証拠を、何一つ挙げることができなかったことである。
 石射自伝には、こうある。
 「真実スパイとか諜報網などという、気の利いた組織も訓練も持たない日本居留民を、如何に痛めつけて見ても、種子はあがらない。
 最初真面目に捜査にかかった警察当局も中途からだれて来て、検挙はしても訊問や取調べをする事なく、そのまま無意味に留置するばかりとなった。
 この状態は被留置者には甚だしい精神的苦痛を与えた」 
 石射は、こうも怒っている。
 「…(略)…アラニャ外相の嘗つての約言に反して、何故に日本居留民に加える迫害か…(略)…私は伯国官憲の仕打ちを深く恨んだ。他日若し日本が戦勝した暁には、ひつじょう思い知らせずには置かないと…」(アラニャ=アランャ)
 嘗つての約言とは次のことを指している。
 汎米外相会議の開催が発表された時、石射は、アランャ外相を訪れ、ブラジルの対処方針を打診した。その折、外相はこう答えた。
 「伯国が時局に対して、将来どう態度を決定しようとも、日本居留民の安全だけは、絶対に保障する。この事だけは安心せられよ」
 邦人の保護に関しては、外相だけでなくサンパウロ州のフェルナンド・コスタ州政府執政官も日本総領事館に対し、
 「ブラジルが参戦する様なことがあっても、平和な勤労者、日本人を脅かすようなことはあるまい」
 と言明、国と州の政府の保安当局の責任者も、
 「日本人の安全は充分保障する」
 と約束したという。(執政官=ブラジル政府任命の州政府首長) 
 さらに、既述の国交断絶と同日に出された枢軸国人の取締令は、サンパウロ州公共保安局から通達されたが、前文に戒告が付されていた。以下は、その一部である。
 「サンパウロ州人諸君が…(略)…枢軸国人の生命、財産、名誉を毀損せざる様、警告する。武装し居らざる者に暴力を用いることは、国際法によって禁じられており、かつブラジルの名誉を傷つけるのみならず、当国の経済に損害を及ぼす絶対無益な行為である」
 しかし外相の約言だけでなく、州政府執政官。国・州の保安当局責任者の言葉、取締令の戒告は、すべて反故にされていた。
 それだけのことをできるのは、経済面でブラジルの首根っこを押さえている米英しかない。

米英の領事、総領事が指揮

 結果的に、何一つ証拠を上げられなかったのに、スパイ容疑による枢軸国人の取締りが三月に各地で一斉に始まったということは、それが計画的、組織的に行われたことを意味する。
 しかも警察が突如、狂暴化、日本人狩りを始めた不自然さも、ここまでくると特大級となる。
 さらに派手な報道ぶり、その記事が連行される人間をスパイと決めつけていたことを含めて判断すれば「背後で、そういう強力な指図がされていた」ことを意味する。
 岸本書によると、
「サンパウロの保安課では、アメリカと英国の領事が交互に出張し、彼等の諜報機関からの情報や調査を基本として指令を與えたり日、独、伊人に対するブラジル警察の活動に助力を與えたりしていた…(略)…」
 という。(つづく)

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