グローボ女優が移民史料館を初訪問
ブラジル日報協会は日伯外交樹立130周年を記念して2月17日、リオに住む女優の相磯ブルナさん(38歳、3世)を、ブラジル日本移民史料館に招待した。女優、司会者として活躍する日系三世は、3月末から始まったグローボTV局の夜9時台ドラマに出演している。その様子を25分間の動画に編集し、本紙ユーチューブ(https://youtu.be/0F_ov95VUcU)に日本語字幕をつけて好評公開中だ。
日本移民史料館運営委員長の山下リジアさんが展示物の一つひとつを丁寧に解説した。ブルナさんは終始魅了されながら耳を傾けた。サンパウロ市南部生まれ育った彼女だが、これまで訪れる機会はなかった。

ブルナさんは展示を一つ一つ、まるで自分のルーツを辿るかのようにゆっくりと歩いた。コーヒー農園で使われた農具、錆びついた鍬、すり減った麦わら帽子などを前に、彼女は祖先の労苦を想い、「これらは単なる道具ではありません。異国の地で夢を育んだ手の象徴です」と感慨深げに語った。
そして訪問のクライマックスは、乗船者名簿デジタル検索端末で祖父の名前を見つけた瞬間だった。「2カ月もの航海を経て、新天地に希望を託した移民たちの勇気は計り知れません」
ブルナさんの祖父相磯タカオ氏は1929年9月28日、静岡県からラ・プラタ丸に乗りブラジルへ渡った。日本からブラジルへ移り、最初は農業に従事し、やがて仲間たちと共に「大都市」でのビジネスチャンスを掴もうとサンパウロ市へ移った。
これは、彼女自身の人生とも重なる。芸能界への挑戦もまた、伝統と革新の間での模索だった。彼女のテレビデビューは2019年のドラマ『ボンスセッソ(Bom Sucesso)』で、日本語の翻訳者でありながらブラジルに魅了されるトシ・ノシムラ役を演じた。それ以降、『A Todo Vapor』(2020)、『Terra e Paixão』(2023)、『Família é Tudo』と立て続けに出演。 そして、この3月からブラジルのテレビ史に残る名作『Vale Tudo』(1988年)のリメイク版に出演している。共演者にはタイス・アラウージョ、デボラ・ブロッキ、ベラ・カンポス、パオラ・オリヴェイラといった豪華なキャストが名を連ねる。
「私たちはアクセントや脇役ではない」
芸能界で活躍する中でブルナさんは「日系人キャラクターの深みある描写の重要性」について強く訴えた。長年にわたり日系人は「計算が得意なオタク」「神秘的でエキゾチックな女性」「ポルトガル語が話せない移民」といったステレオタイプに押し込められてきた。彼女はこうした固定観念が、本当の日系人の人間性を見えにくくしていると指摘する。
近年の改善を認めつつも依然として根深い課題があると語る。「『日系のキャラクターは視聴率が取れない』と考えているプロデューサーはまだいます。私たちを〝市場のニッチ〟ではなく、〝物語の一部〟として描けば、きっと広く受け入れられるはずです」と主張した。
訪問中に彼女が何度も強調したのは「史料館は『多様性』が単なる流行ではなく、私たちのルーツであることを再認識させてくれます。私たちが歴史を知らなければ今も続く差別とどう闘えばよいのでしょう?」という点だ。見学を終えたブルナさんは、史料館の感想ノートに次のメッセージを残した。「私たちの前に道を切り開いてくださった皆様へ―あなた方が蒔いた種が、今日こうして花開いています。ありがとうございます」
見学後、出口では父チノさんが待っていた。彼は娘の夢の実現を支えた最も大きな存在の一人であり、「努力と忍耐こそが成功の鍵である」という価値観を体現した人物でもある。多くの日系ブラジル人が歩んできた道と同じように、彼はかつてデカセギとして日本へ渡り、愛知県の工場で4年間働いた後、帰伯した。その間、日本で働いた収入を仕送りし、娘の学業と俳優の夢を支えたのだった。以下、当日の一問一答。

「日系、非日系問わず、史料館は絶対お薦め」
▼【記者】今回初めて訪れた「移民史料館」はどうでしたか?
▽【ブルナ】素晴らしい経験でした! 本当に感動しました! 実は驚いたんです。これほど壮大で、細部まで歴史が大切に保存されているとは思っていませんでした。実物の品々やオリジナルの資料、写真などを目の当たりにして、圧倒されました。自分自身の先祖の歴史について、いかに知らないことが多いかを痛感しました。
特に心に響いたのは、乗船名簿で祖父の記録を見つけた瞬間です。彼の名前、船、出航した日、日本を離れブラジルに到着した日――これらがすべて記録として残っていたんです。胸が締めつけられる思い、言葉にできないほどの感動でした。
今日は本当に多くのことを学びました。山下さんの説明はまるで歴史の授業のようでした! 日本移民たちがどれほど過酷な環境で働いていたのか、コーヒー農園での重労働、そして新しい土地で生活を築くための忍耐と努力、さらには農業だけでなく、ブラジル全体の発展にどれほど貢献したのか――そのすべてを知ることができました。決して楽な道ではなかったのだと、彼らが流した汗や涙の重みを改めて感じました。この歴史を知ることで彼らへの敬意がますます深まりました。
日系の皆さんには声を大にして伝えたい。「ぜひ訪れてください!」私たちのルーツを知るための「道徳的な責務」だと思います。日本移民の歴史を知らない日系以外の方々にも、ぜひこの史料館を訪れてほしいです。この歴史は日系人だけのものではなく、ブラジル全体の歴史だからです。ここに移住した日本人たちの手によって、ブラジルの農業、そして国の発展が築かれたのですから。

大好きな日本食文化
▼【記者】日本人というルーツはあなたのアイデンティティにどんな影響を与えましたか? 日常生活の中で、日本文化の中で特に大切にしていることはありますか? 日本食はとても人気ですがあなたの生活の中ではどうですか?
▽【ブルナ】私の人生には、日本文化の多くの要素が自然に根付いていると思います。特に強く感じるのは、年長者への敬意、他者への配慮、空間を大切にする心、そして祖先や歴史を重んじる気持ちですね。これらは私の価値観として、しっかりと根付いています。
日本食は日本移民がブラジルに残した大きな遺産のひとつですよね! でも正直に言うと、私は「食べる専門」のタイプです(笑)。特に一人暮らしをすると、自分で作るしかないので簡単な料理はします。でも、本格的な和食はちょっとハードルが高いですね。でも食べるのは大好き!
実は、昔サンパウロ市の和食レストランで働いていたことがあるんです。高級和食の先駆けとも言える有名なお店でした。働いていたのは2006年頃で、私はホステス兼ウェイトレスとしてお客様を迎えたり、予約リストの管理をしたりしていました。忙しい日は料理を運ぶのを手伝ったり、オーダーを取ったりもしました。おかげで日本食の名前を覚えましたし、特に温かい料理が大好き。炉端焼き、カレー、ラーメン全部大好きです!
その頃すでに芸能活動とアルバイトを両立していました。私は労働手帳が2冊あるんです。1冊目がスタンプでいっぱいになってしまったから(笑)。芸能活動だけで生計を立てられるようになるまで、いろいろな仕事をしました。ショッピングの販売員、事務のアシスタントなど、芸能の仕事はとても厳しい世界で安定するまでには長い道のりがありました。
でも、これもすべて私の人生の一部ですね。日本食への愛情、年長者への敬意、自分のルーツを大切にする心、これらすべてが私の中に息づいていて、私はそれをとても誇りに思っています。
ブラジルエンタメ界における重大な課題
▼【記者】ブラジルのエンターテインメント業界における日本人の子孫の表現についてどう思いますか?
▽【ブルナ】このテーマは、私にとって単なる話題ではなく、生涯をかけて取り組むべき「使命」だと感じています。私は日系アーティストがブラジル芸能界で活躍できるように道を切り開き、より多くのチャンスを提供することを人生の目的の一つとして考えています。そして、ここ数年で大きな進歩があったと実感しています。
10年前の状況を振り返ると、テレビや映画、音楽業界で日系人のアーティストをほとんど見かけませんでした。でも今はどうでしょうか? テレビをつければドラマに日系の俳優が出演していたり、映画館に行けばスクリーンに日系のアーティストが登場していたりします。以前に比べて確実に増えています。
ただ私が今取り組んでいるのは、単に出演者の数を増やすことではなく、その「質」を向上させることです。彼らがどれだけ重要な役割を担うか、ストーリーの中でどれほどの影響力を持つか、という点をもっと向上させたいんです。
ただの「登場人物」として存在するだけではなく、より大きな役割を持つべきだと思います。重要なキャラクター、主人公、ストーリーの中心となる人物として描かれることが必要です。観客に深く記憶され、道で見かけたときに「この人、あの作品の○○だ!」と思い出されるような存在になってほしいんです。
そのためには、日系の俳優たちがもっと「画面に映る時間(スクリーンタイム)」を増やさなければなりません。セリフが増え、物語の中でより重要な役割を持つことが大切です。昔は映画やドラマで日系のキャラクターといえば、ステレオタイプな描かれ方が多かったですよね。
例えば「カタコトの日本語を話す日本人」というような役です。でも、今はそれが少なくなってきていて、それ自体が大きな進歩だと感じています。最近は業界全体の意識も高まっています。私が関わっているプロジェクトでは、「私たちもブラジル人である」ということを強く主張し続けています。私たちの日系ブラジル人の物語は、決して「変なアクセント」や「異国の雰囲気」だけの話ではありません。もっとリアルで深みのあるキャラクターを通して、ブラジルの多様性を表現することができるはずです。これからも日系の俳優たちが多くの場面で活躍し、もっと多くの声を届けられるように取り組んでいきます。

▼【記者】今年は日伯130周年を迎えます。この130年間で、日本文化がブラジルに与えた影響についてどのように感じていますか? また、文化的・社会的交流についてどう考えますか?
▽【ブルナ】本当に誇りに思います。今のブラジル社会を見てみると、日本人移民がどれだけこの国に貢献してきたか、明らかですよね。例えば、今日初めて知ったことですが、柿は日本から来たものなんです! 日本に行って「カキをください」と言ったら本当にカキ(柿)が出てきますよ(笑)。そういう食文化的な遺産があることにとても誇りを感じますし、同時に感謝の気持ちも抱いています。なぜなら、初期の移民の方々は本当に厳しい環境で働いてきたからです。
現在、多くのブラジル人は日系人を「成功した民族」として見ています。でも最初から順調だったわけではなく、本当に大変だったんです。生活の全てが仕事中心で、ひたすら働くしかない状況でした。この史料館を訪れ、移民の歴史を時間の流れとともに追っていくと、その苦労がどれほど大きかったかがよくわかります。だから私は何よりも「誇り」を強く感じるのです。
(銘苅ロドリゴ記者)