私の回顧録=五十嵐司=(9)

両親、司、妻、子供3人

 この会社はお米の糠などを使ってポリビタミーナという名前のビタミンB剤やジャスターゼなどの消化剤、糠粕や蚕の蛹からの養鶏用栄養飼料などを作っていた。私は糠や蛹から抽出した油の利用の研究を命じられ、精製して洗濯石鹸を作るプロセス作りを行った。 丁度1年目の365日後にかねてから探していた香料会社への就職が決まり大河内研究所を辞めフラッカローリ香料会社に転職することとなった。
 お別れの日に母と一緒に社長の大河内辰夫氏邸を訪ね、お世話になったお礼を述べ色々話をしていたら、何と同氏は遠縁の親戚に当たるということがわかった。
 大河内家は旧高崎藩家老職の家の出で母の兄嫁の実家千葉家の親戚であった大河内氏は「次の会社が面白くなかったら何時でも帰っておいで。」といってくれたが、その後会うこともなく、数年後亡くなった。
 なお、大河内氏は北海道大学の農芸化学科出身でアメリカ留学中高峰譲吉博士の下でタカジャスターゼの研究を学び、ジャスターゼの結晶作りに没頭していた、という。
 講道館7段でブラジル柔道界の重鎮であり、夫人は日系助産婦の草分けで、多くの名家の赤子を取り上げ、その中には後で州知事などになった有力者もいて、その道では高名な人であった。
 大河内研究所在職中には、行きつけの床屋さんなどに調べて貰ったり、職業別電話帳の香料業者の欄で探したりして見つけた香料会社の赤い印をサンパウロ市内地図に付けて職探しをした。
 フランス系のアントン・シリーズ香料では「秋になったら新工場が竣工するから来い」と言われ、リカフローラ香料では「社長が亡くなり葬儀の最中だ」とか色々あって、5軒目の都心に近いサンタセシリア区のフラッカローリ兄弟香料という会社で専務の面接があり、入社の実技試験を受けることになった。
 当時イソバレリアン酸エチルとイソバレリアン酸アミルというリンゴの匂いの香料が輸入ストップになっているので、それらを自社の工場内で作れたら採用するということであった。研究室に行ってみると、その件をかねて頼んであるというサンパウロ大学工学部の教授が用意させたバレリアン酸の製造文献(スペイン語)とその本に記載されている原料の試薬類が取り揃えてあった。何度催促しても忙しいとかで教授が実験を行いに来てくれなくて困っているので、その問題を解決してほしいというのである。

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