私はそのスペイン語書と自分の持っている有機合成の本を参考にして、2日間で原料のイソアミルアルコールからイソバレリアン酸(日本語=イソ吉草酸)を作ることが出来た。さらにもう1日研究室に行き、最終製品のエチルとアミル化合物を完成したので、試験は合格直ちに入社と決まった。
このイソバレリアン酸は非常に悪臭のものだが、アルコール類とくっ付けてエチル、アミルとなると甘い果物の匂いになる面白いものである。後にこの酸を作るのに私は従来の高価な過マンガン酸カリの代わりに安価な苛性カリやソーダを使う方法を開発し、コストを下げることに成功した。しかしこの酸の悪い匂いが体につくため、恥ずかしくてバスに乗れなくなり、中古ルノーのひ弱な小型車を買ったことで悩みの種が増え、ついに個人経営の修理工場で見習い修業するはめになった。
フラッカローリ香料は社長のヴィットリーノ・フラッカローリ氏(1890-1981)が第1次世界大戦の直後創立した、ブラジル食品香料のパイオニア的な製造会社である。
ヴィットリーノ氏は戦争中アンタルチカの前身であるビール会社に勤め、清涼飲料の製造に当たっていたが、ドイツ潜水艦の活動のためイギリスから輸入するレモンエッセンスの供給が途絶えたためレモン飲料(ソーダリモナーダなど)が作れなくなった。会社では急遽技師たちを集め、エッセンスの自社製造の研究を命じた。
ヴィットリーノ氏の試作品は合格し、それ以来輸入に頼らず自社のレモンエッセンスを使用することになったという。そのことがあってからレモン、オレンジの皮からの香料抽出をはじめ他のフルーツエッセンス製造の研究に打ち込み、ついに同社を退職して独立し食品香料専門の工場を創立した
イタリア人3世の彼はイタリア語の文献 を頼りにイチゴ・リンゴ・ブドウ・パイナップルなどのフルーツやグアラナーや冷菓用・製菓用あるいはリキュール類の香料を作り顧客を増やして行った。
私が入社した頃はアイスクリームを乗せて一緒に食べるウエハースで作ったコーンや、奥地の清涼飲料メーカーに売る炭酸ガス製造装置なども製造していた。
ヴィットリーノ社長には4人の子女がおり、長男のエンリッケ(サンパウロ大学応用化学科中退)は専務であるが、農場を持ち、漁船を2隻購入して漁業に乗り出していた。次男はリーノでバナナ園主、で建売りアパートの建築と販売を始めていた。