
私の活動するアマゾニア日伯援護協会は今年60周年を迎えました。男性ばかりが理事を務めた時代から、現在は援護協会事務局長、アマゾニア病院看護部長、高齢者施設(厚生ホーム)のホーム長は女性です。
事務局長は日伯援護協会、日伯文化協会で働き、日系社会の荒波だけでなく、世界規模の医療危機であった新型コロナ感染を関係者と共に乗り越えました。
看護部長はかなり若い頃から国際協力事業団(現在の国際協力機構(JICA)の前身)ベレン支所やアマゾニア病院の事務等を手伝いながら看護師資格を取得しました。常に落ち着いた朗らかさは病院の大黒柱です。
厚生ホームは19年前から女性がホーム長を務めています。初代の女性ホーム長は12歳でブラジルに移住しました。ご本人は「皆さんに助けられてできたこと」と謙遜されますが、益荒男(ますらお)文化の残る日系社会で、男性からトップを引き継ぐには、母のような優しさだけでなく、行動力や心の強さも望まれてのことでしょう。
そのチャレンジ精神から、厚生ホームの代表的イベントとなった「厚生ホームバザー」が始まりました。
現在の厚生ホーム長はブラジル人女性です。彼女の母はアマゾニア病院に長く勤め、彼女自身も若い頃から厚生ホームに勤めていた実績と人柄が、日系施設であっても、違和感なくブラジル人女性がホーム長として認められる背景でしょう。
また、厚生ホームはアナニンデウア市の行政方針から、日系人もブラジル人も利用する施設となった今、時代も彼女を要請したと言えるかもしれません。
私はアマゾニア病院のカスタマーサービス窓口にいますが、ベレンに来てすぐ「ベレンFUJINKAI」に加えていただきました。イベントで日本食を作る手伝いをしています。おかげで餅つきをしましたし、雑煮もいただきました。

今年11月にベレンで開催されるCOP30には日本から大勢のお客様があるとか、FUJINKAIがきっと活躍されることでしょう。
県人会対抗カラオケ大会でもFUJINKAIのお昼ご飯に参加者は舌鼓をうちました。
ブラジルには「県人会」があり、それぞれの祖先の生まれ故郷とのつながりを大切にしていますが、日本に暮らす人はどれほど出身県を意識しているでしょう。
「国はどちら?」と聞かれると、日本でなく岡山と答えます。岡山県からの移住者はベレンには少なく岡山弁で話す人はいません。「こけーけー(こっちへいらっしゃい)」「でーこーてーてーてー(大根をたいておいて)」をギャグで紹介しています。「ふるさとの訛懐かし停車場の人ごみの中にそを聴きに行く」は石川啄木の短歌です。人とのコミュニケーションにも欠かせない「お国訛り」はまさに国の宝です。
「婦人会」、日本では使われなくなった言葉かもしれませんが、ブラジルにはあります。日本ではスプーン、ノート、トイレを日本語として使っていますが、こちらでは、さじ(匙)、ちょうめん(帳面)、便所で通じます。私の母の世代は使っていた言葉ですが、いつから聞かなくなったでしょう。
今の日本では差別的な言葉として使われなくなった言葉もこちらで使われています。例えば「ビンボウニン」「オトコオンナ」です。「婦人」も含め、なぜ日本で使われなく、ブラジル日系社会では残っているか想像するのも面白いと思います。
ベレンだけでなく日本人移住者が暮らす地域には、日本の文化や言葉が伝わっています。若い人はアニメやドラマの影響で知る機会も増えていますが、食文化を伝えるのは女性が多いのではないでしょうか。