ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(149)

 またも暴動

 八月。
 十五日から二、三日の間に、ナタール沖でブラジル商船が五隻、立て続けに撃沈された。
すると、また暴動がアチコチで発生した。
 十七日、カンポ・グランデ市で暴徒が一邦人の住宅と店舗を焼討ちにした。
 不穏な空気は続き、近郊に在る邦人のバンデイラ植民地は、野菜の出荷を中止した。
 これには、同地の陸軍師団が困り、騎兵を派遣して荷馬車の護衛に当らせた。以後、それが一年続いた。
 十八日、サンパウロの中心部プラッサ・ダ・セーに二〇万の群衆が集まって騒ぎ、一部が近くのコンデ街を襲撃した。商店や家屋に投石、窓ガラス、ネオン、屋根瓦を破壊した。
 二〇万という数字は疑わしいが、ものすごい数であったのだろう。これなどは確実に扇動・誘導者が居た筈である。
 同日、パラー州ベレン沖でブラジル商船が撃沈された。ベレンでは暴徒が枢軸国人の家屋を破壊、放火した。州政府が、枢軸国人を日系のアカラ植民地へ隔離した。
 開戦以来のブラジル商船の撃沈は計十九隻になり、同月二十二日、ブラジル政府は、独伊に宣戦布告をした。
 米英の望んでいた事態であった。
 九月。
十七日、パラナ州南部パラナグア湾の湾岸の二、三の町で、暴徒が日独人三十家族を襲撃、略奪し、レイブした。
 同様のことがミナス州ベロオリゾンテ市近郊の野菜作りの邦人たちにも起こった。住まいに放火された家もあった
 レイブといえば、ほかの土地でも、頻発していた。日本人は、この種の被害を受けた時、口外しないことが多いため、具体的なケースや件数は全く不明である。漠とした噂しか残っていない。

 内部からも荒廃

 一方、日系社会は、内部からも荒廃が起きていた。その一つが、詐欺である。  
 マリリアの住人で手広く商業を営んでいた西川武夫は、一九四二年三月二十日付けで次の様な手記(要旨)を残している。
 「昨日、大同植民地から数名の日本人が警察へ引致されたと聞いた。
 今日、そのうちの1人木田君が出てきたので、真相が判った。
 現下の日本人の共通の心理たる日本への帰心を利用して日下部なる男が、国策に副って、この地より南洋へ一万家族を送ると言って翼賛会ブラジル同志会なる組織をつくり会員を募集、運動費として月五ミル、年六〇ミルを集めている。
 たまたま大同植民地の某氏が、それを詐欺として警察に訴えた
 当局では詐欺とは認めないが、一種の非合法な民族的運動、秘密結社として日下部を引致すると共に、その宣言文、申込書、領収書などの印刷物を押収、印刷場所を追及せるに、はからずも大同青年会の謄写版を使用せることが判明した」
 警察は、詐欺とは認めなかったというが、この南洋の土地売り事件は、その後も起きており、しかも架空の土地であったため、邦人間では詐欺として扱われている。

 日本人が日本人を密告

 もう一つ、内部からの荒廃が起きていた。密告である。
 警察による邦人の連行・留置は、その後も続いていたが、密告によるモノが多くなった。
 しかも密告者は同じ日本人だったのである。
 一九四二年八月、サンパウロで、宮腰千葉太(海興支店長)、加藤好之(ブラ拓幹部)ら日系社会の著名人二〇余人がDOPSへ連行・留置された。
 嫌疑の内容は「母国から大型資金を受けとり、奥地の日本人農家にサボタージュを運動中」というものであった。
 当人たちは全く心外な話であった。しかし容疑は晴れず、身柄を未決囚拘置所その他に移された。
 釈放されたのは数カ月後であった。
 その被害者の一人、羽瀬作良は後年著した自伝『商人一代』で「自分たちの検挙は誰かの密告であったらしい」と書いている。
 密告という言葉は、当時の警察による邦人の連行・留置に関する資料には処々に出てくる。
 その折、取り調べをした警官たちが、
 「何故、日本人が日本人を密告するのか?」
 と不思議がっていたという。
 それで密告者が同胞であることが判った。 
 これは極めて重大な事実である。密告者の日本人とは一体誰だったのか、何故、そんなことをしたのか…に関する資料は、筆者の知る限りでは、無い。
 では、誰も何も知らなかったのか?
 否、実は誰もが「密告者は彼らである」と疑っていた相手が存在した。

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