ブラジル日報協会の概要
ブラジル日報協会(Associação Brasil Nippo)
会長:林隆春
理事長:山田ワルテル(2023年7月から)
監査:ユダ・ヤスオ、イワクラ・クラウジア
住所:Edifício Bunkyo – R. São Joaquim, 381 – 6º andar – Liberdade, São Paulo – SP, 01508-900
事業内容:ブラジルと日本の交流促進事業、交流を促進するイベント、日本語の普及活動など、日本語とポルトガル語の新聞発行、両国間の情報発信
発行紙:ブラジル日報(平均8ページ、週5回、日本語)発行部数1万部
Jornal Nippon Já(平均12ページ、週1回、ポルトガル語)発行部数1万部
職員数:約40人
東京支局(支局長:輿石信男)
【設立の趣意】
ブラジル日系社会は1970年代、80年代に全盛期を迎え、1990年代には相次いでコチア産業組合、南米銀行が解体され、若者は国外へ働きに行きました。その結果、日系社会は高齢化し、日系団体の同時のネットワークが分散化してしまいました。
なんとか2008年のブラジル日本移民百周年、2018年の110周年を迎えました。ですが、世界最大の日系社会があるブラジルですら、一世の高齢化のよって日本語がどんどん姿を消し、日系アイデンティティが希薄化していく危険性が叫ばれています。
そんな今だからこそ、これからはグローバルにコミュニティ活動を展開していくという、新たな段階に進む時代が来たと考えます。日本側のブラジル人コミュニティと緊密に連携することを通して、日本語メディアは日本全体に向けて、ポルトガル語メディアはブラジル全体に向けて情報発信をしていく必要が出てきました。
ブラジル日報協会は、今までのコミュニティペーパー以上に両国の連帯の接着剤になるべく、さまざまな交流事業を行っていく所存です。
【主な事業内容】
(1)《イベントなどの事業》日本文化をブラジルに紹介、ブラジル文化を日本に紹介するようなイベントなどの事業を展開し、ブラジル人親日家、日本人ブラジルファンを増やすように幅広い活動をする。
(2)《日本語教育》ブラジルにおける日本語教育に献身的に協力することはもちろん、いろいろな手段をもって日本語普及に尽くす。
(3)《新聞・情報誌発行》日本語とポルトガル語で新聞・情報誌の発行をすることにより、日本とブラジルがより緊密に感じられるような相互イメージの形成を図る。
【発行予定の媒体概要】
(1)日本語新聞「ブラジル日報」
ブラジル日報は2022年1月に発行を開始。週5回刊行で、平均8ページ立て。共同通信からの配信記事に加え、独自にブラジル社会の政治経済記事、日系社会の記事、特別寄稿、時事解説コラムなどを掲載していきます。
印刷版のみならず、サイトを通して、PDF版、Web版(PDF版+サイト有料記事)を発行し、日本側の読者にブラジルの情報を伝えていく。その一環として、記事の一部をヤフーニュースに掲載するのみならず、各種のアプリニュースサービスなどにも記事提供をしていく。
(2)ポルトガル語新聞「Jornal Nippon Já」
印刷版は2022年1月に発行開始、週1回発行、平均12ページ立て。
共同通信などの日本やアジアに関する英語記事を、本紙が独自にポルトガル語翻訳してサイトを通して、毎日複数本の記事を提供していく。ポルトガル語世界においては、もっとも日本やアジアの情報が詳しく載っているサイトを運営する。
【日伯関係の基礎となる日系社会】
日本の23倍の国土を誇るブラジルは、豊富な鉄鉱石や石油、天然ガスなどの資源以外に、大豆、牛肉、オレンジやサトウキビから生産されるエタノールなどの農業関連でも注目を浴びています。南米の盟主ブラジルは、地球の反対側に位置しますが、実は日本とは深い関係を持つ国です。
1908年に始まった日本人ブラジル移住において、移民はコーヒー農場での過酷な労働に耐え、農業面での社会的な貢献を経て、徐々に日本人に対する信頼が醸成されてきました。現在も日系社会からは、空軍総司令官をはじめ、政治家、官僚、大学教授、実業家など幅広い人材を輩出しています。
1980年代から始まったデカセギ・ブームにより、90年代には一時30万人の日系人が訪日就労するなど日本の産業界を支えました。その後、平成不況、世界金融危機などを越えて、人数が激減しましたが、永住思考の日系人を中心に在日日系コミュニティが形成されています。日本で大学を卒業する日系子弟もどんどん現れており、今後は日本の国家発展に役立つ人材がそこから生まれるものと確信します。
【邦字紙の社会的使命】
第2次世界大戦勃発により、日本語新聞の廃刊、日本語学校閉鎖、公の場での日本語使用の禁止、戦略的地区からの強制立ち退きなどを経て、日本移民とその子孫は、祖国が枢軸国側だというだけで強い社会的圧力に直面し、暗い戦時下を過ごしていました。
戦後、ブラジル日系社会は未曾有の混乱に襲われました。情報の少なさに加え、祖国への思いのあまり「勝ち組」「負け組」に分断され、民族テロ事件が起きてしまいました。その時、「正しい情報を伝えなくては」との思いに燃えた同胞社会を憂う有志が集まり、1947年1月に創立されたのがパウリスタ新聞、そこから分派して1949年1月に創立されたのが日伯毎日新聞でした。
80年代半ばからのデカセギ現象によって読者は減り、1998年3月に両紙は合併し、ニッケイ新聞になりました。2018年末にサンパウロ新聞が廃刊し、2021年暮れにはそのニッケイ新聞も廃刊することが発表されました。
ですが、ブラジルの邦字紙は1916年1月に発刊された週刊「南米」から始まる長い伝統を持っています。そこを貫く精神は、「読者に正しい情報を伝える」というものでした。現在、グローバル化した世界においてフェイクニュースが問題になっていますが、邦字紙は常にそれと戦ってきました。そして、これからも戦っていきます。
【組織概要】
ブラジル国サンパウロ市に本部を置くブラジル日報協会(蛯原忠男理事長)は週5回の日刊紙で平均約8ページの日本語新聞「ブラジル日報」、12ページのポルトガル語週刊新聞(Jornal Nippon Já)を発行します。大判、公称発行部数は日本語約1万部。ポルトガル語1万部。サンパウロ市の本部には日本語版編集部には約10人、ポルトガル語版には約5人が勤務し、印刷部門、配送部門も含め、全体の社員数は約40人です。
日本には東京支局(支局長:輿石信男)があります。
【編集方針】
1)ブラジル日系社会のオピニオンリーダー
海外邦字紙の価値は部数ではなく、その質と継続性にあると考えます。ブラジルで発行される日本語新聞として日伯両国の立場を理解し、日本語新聞を禁止された戦中戦後の日系社会混乱期を収束するために創立された歴史的な経緯を忘れず、複眼的な思考で、その時代、その時代における社会的使命を果たしていきます。
2)日本移民の歴史、在日ブラジル人の業績の積極的な掘り起こし
日本人移民、一般民衆がどのように外国の生活で苦労してきたのでしょうか。庶民の歴史を丹念に記録することは邦字紙の最重要課題の一つだと考えます。日々の出来事を報道するだけでなく、読み応えのある連載を多く掲載し、後世の歴史家や研究者に役立つような資料的価値の高い、移民の歴史を掘り起こすような報道を心がけています。
3)日系後続世代に対する日本文化の継承と啓蒙
時代とともにブラジル社会へ統合していく日系社会の中心に日系文化の核を残すために、ユダヤ系、ドイツ系など他民族系に負けないような、日系人アイデンティティが継承されるように心がけます。直接の日本語読者ではない多くの日系社会周辺部や一般ブラジル社会にも、間接的に影響力を持つオピニオンリーダーとしての意識を忘れずに責任を果たしていきます。
4)日本語教育への協力
外国における「日本語を守る砦」として、日本移民や駐在員とともに歩み、通常の記事以外にも特別ページを提供するなどして日本語教育に貢献していきます。
5)日系社会に起きている様々な現象に対して深い分析
日本文化をベースにした日系文化の形成、ブラジル社会に受け入れられるよう変化してきた日本食の実態など、日本文化の普及とその変化の記録を残していきます。
6)日伯間において最も注目されるデカセギ現象を定点観測
現在、日伯間で最大の人の流れを形成しているデカセギ現象に対して、常に注視して動向を分析し、情報を発信していきます。
7)日本やブラジル、双方向への情報発信を強化
ブラジルから日本がどう見えているかを常に意識し、祖国であり祖先の国である日本への深い愛情を込めた視線を忘れず、双方向に情報を発信します。ホームページをはじめ、PDF版発行など、インターネット時代にあわせた情報発信方法を洗練させていきます。