奇祭と呼ばれるアマゾンのカーニバル「ボイ・ブンバ」で世界的に有名となったパリンチンス。六月末には多くの観光客が訪れる町だが、かつてアマゾン経済を潤したジュート(黄麻)栽培の発信地であり、その先鞭をつけたのが日本人だった。一九三〇年、現地を視察した上塚司(1890~1978)は、後にアマゾニア産業研究所を設立。パリンチンス下流の土地をヴィラ・アマゾニアと名付け、〃理想郷〃建設に乗りだした。日本側では開拓の人材育成を目的に、国士舘高等拓植学校(後の日本高等拓植学校)を開校、三一年から卒業生(通称・高拓生)約二百五十人を送り出している。今。パリンチンスでもその歴史を知る人は少ない。〃兵どもが夢の跡〃を訪ねた。(堀江剛史記者)