《特別寄稿》誰も書かなかった日伯音楽交流史=坂尾英矩=(6)=セルタネージャの日本人先駆者「栗森兄弟」

日本のブラジル音楽評論草分けである横浜の大島守氏が初来伯した時、私に「ジョゼ・ラモス・チニョロンに是非とも会いたい」と言ったのには本当に驚いた。1967年のことなのである。
日本ではボサノーヴァが好まれて広まってきたとは言え、いくら有名でも音楽家でな...
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