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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(224)

2025年8月13日

 阿部の記録はオーバーな表現が目立つ。

 自宅の爆破事件も、阿部の手記では、

 「二十三日午前二時五十分、小生宅の床下に装置されていた直径十㌢、長さ二十㌢の爆弾が爆発、爆音二十㌔先まで聞こゆ」

 となっている。

 阿部の息子の話とは全く違う。

 阿部の記録は、目撃談の体裁をとっているが、地元のポルトガル語の新聞の記事を使っていると思われる部分が何カ所かあり、劇的に表現しようとする作為が感じられる。

 西谷は、新聞記事の内容そのものを否定した。

 筆者は、西谷に前記の阿部の記録のコピーを渡したが、読んだ瞬間、舌打ちの様なモノをし、それをパッと机上に投げ出し、席を立った。不快そうであった。

 この国の新聞や雑誌は、今でも見かけの派手さを追って内容の正確さにはこだわらぬ処がある。昔は特にそうであった。

 事件、依然止まず

 事件は八月に入っても、依然止まなかった。

 十日。

 マリリアで敗戦派の平田良博という時計修理業者が銃殺された。

 午前十時頃、店内で修繕台に向かって仕事中、若い男がブラリと入って来た。客だと思って顔を上げた瞬間、拳銃で胸を三回撃たれ昏倒した。

 その男は、背後からさらに三発撃ち込んで店を出た。しかし二、三十㍍行った処で非日系人に捕えられ、警察に引き渡された。

 平田は病院へ運ばれたが、蘇生しなかった。

 撃ったのは野呂エステ線カフェランヂアの近くピラジュイの住人、伊藤健一だった。

 伊藤は、猿橋俊雄という若者と一緒に認識運動の活動家の襲撃を計画、パウリスタ延長戦へ向かった。

 最初、ガルサに行ったが、警戒厳重であったため諦め、マリリアに向かった。

 伊藤の平田襲撃四日後、猿橋俊雄が、敗戦派の三浦トオルを撃ち、重傷を負わせた。

 被害者の平田と三浦は、地元の認識運動に関わっていたが、主要メンバーというわけではなかった。

 伊藤、猿橋は初めは既出の同地の西川武夫を含む主要人物を狙ったが、果たせず、狙える相手を襲ったのである。

 平田は、九章で記したサントス追放組であった。

 八月十日。 

 ツッパンで、敗戦派の渡辺某が襲撃され負傷。

 八月十一日。

 ノロエステ線ペナポリスで敗戦派の藤原栄次郎が狙撃され負傷。

右二件、いずれも記事はそれだけである。

 国外追放令

 八月十一日。

 大統領令による━━州警察が検挙・拘束中の内の━━八十名の国外追放が、司法大臣から記者会見で発表された。

 その殆どがアンシエッタへの島流し組であった。

 国外追放は行政措置であり、大統領の署名があれば、可能であった。

 この場合、追放令はサンパウロ州政府の申請に基づくものであった。

 州政府は認識派の要望でそうした━━という説もある。多分、それもあったろう。既述の粛正請願書を追う様に、この申請がなされている。

 大統領はゼッツリオ・ヴァルガスが下野、エウリシオ・G・ヅットラとなっていた。

 この決定に関して、司法大臣は談話を発表している。以下はその要点である。

 「日本人テロ団の行動に関するサンパウロ州警察当局の取調べ結果を、本職は大統領に詳細説明するとともに、右テロ団の一味は…(関連法規名、略)…に基づき、国外追放処分に付すべき旨、上申、大統領の署名を得た…(略)…永住と一時滞在とを問わず、当国に居住する外国人は、いかなる政治行動または社会運動にも関わることは許されず、社会の治安を乱す場合も同様である。これに違背すれば、国外追放に処することを、法律は定めている。下記の八十名は、これに該当する。(以下、その人名、略)…日本人は、十万以上の会員があるという臣道連盟のほかに、同様の目的を持つ二十を越える団体を組織している。政府が速やかに厳罰を以て、この取締りに臨まなければ、憂慮すべき結果となろう」(つづく)


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