哀悼 弟よ=パラナグア市 増田二郎
弟が亡くなった。
歳は82、俺より四つも若かったのに、「兄ちゃん、もう遊びあいたよ!」と言わんばかりに、病に伏したと思ったら、二週間足らずで亡くなってしまった。
肝硬変だった。
思い起こせば僕たちは、あの大戦さえなければ東京生まれの東京育ちとして、深川の下町で学校へ行き、卒業後は親父のようにサラリーマンにと、母は漠然と思っていたらしい。ですが、日本は第二次世界大戦に突入、その相手が世界一の大国アメリカだったので、軍事力や物量の差は歴然としていて、いかに精神力が優れていても、勝てるわけがなく、更に新発明の爆弾のモルモットにもされ、無条件降伏の憂き目にあったのでしたが...
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