ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(299)
しかし、これも既述したことだが、総ての人が、そうであったわけではない。組合員の中にはアンチ下元派が存在し、その独裁を、
「コチアの下元か下元のコチアか」
と、痛烈に批判した。
職員の中にも敬遠する者がいた。
組合外、コロニアの指導者格の人々の間では孤立していた。傑物と評価されつつも、イモ扱いされていた。田舎者の意味である。
コロニアの懸案事項に独自の卓見を持ち、よく提言したが、同調者を得ることはできなかった。理由は、提言者が下元であったからである。スールの中沢源一郎は、こう書いている。
「(下元は)次第に多くの有力者と喧嘩別れとなり、コチアの牙城の中に戻っていくという風になった」
やはり欠点の無い人間などというものは、存在しないのであろう。
目に見えぬ溝
下元健吉は、最後まで宮坂国人を憎んでいた。坊主憎けりゃ袈裟まで…で、その感情は南銀にまで及んだ。
南銀が再建後、コチアの本部の側に営業所を開き、経営の実務の中心になっていた橘富士雄が挨拶に行くと、下元は突如、怒声を発し荒っぽい拒絶の仕方をした。
コチアは、その規模からしても巨額の金が動く。銀行には是非とも欲しい顧客だった。
下元の死後、コチアは南銀と取引を始めたが、目に見えぬ溝を隔てたような付合い方をしていた。
結局、南銀はコチアの主力銀行にはなれなかった。その他の取引銀行の一つでしかなかった。
宮坂は常々「南銀は移民を支えるためにある。それが南銀の使命である」と言っていた。が、移民の最大の集団コチアとは、こういう関係だった。
コチアにしても、南銀と密接な関係を維持していたら、多くの利があった筈である。
もし両者がガッチリ組んでいたら、いずれも、もっと強大な力を発揮したであろう。
さらに一九九〇年代のコチア瓦解、南銀身売りという大惨事は、避けることができたかもしれない。
コロニア…と言うよりブラジル日系社会の歴史は変わっていたろう。
南銀はコチアから冷たくされたこともあって、その分、自力で…かつ工夫して地方の農業地帯の営業網を広めた。
特に、サンパウロ州西部からパラナ州北部に支店を多く設置、カフェーの生産者や精選業者を客層として開拓して行った。(コチアは当時、カフェーは扱っていなかった)
この時、地方にボツボツ生まれていた資産家を、銀行の役員に招くという工夫をしている。安瀬盛次、吉雄武、和田周一郎などである。夫々の地域の顧客の信用を得る上で、非常に効果があった。
当時、カフェー業界は空前の好景気に沸いており、顧客の中に、倉庫会社設立の機運が高まっていた。それを南銀も支援、出資した。これがプロヅトーレス社で、一九五一年、輸出港パラナグアに、近代的設備の整った倉庫を建設した。
以下、息抜きの余談になるが、その初代社長になったのが宮本斉(いつ)という男である。
彼は、実兄と共同で、北パラナのコルネリオ・プロコピオに二、〇〇〇アルケールの土地と百二十万株のカフェー樹を持ち、精選工場も経営していた。
コロニアのカフェー業界では代表的存在であった。
この宮本斉が、また面白い男で、若い頃から拳銃と博奕が大好きだった。
「瓶のふたを空中に投げ、腰の拳銃を素早く抜いて、真ん中を撃ち抜いた」
「博奕で大負けして農場を一つ渡したが、顔色一つ変えなかった」
…そういう逸話の持ち主であった。惜しいことに、交通事故で一九五二年に亡くなっている。
話を戻すと、一九五〇年代末、南銀の支店は四十カ所を数えていた。コチアと並ぶコロニアの城になっていた。
移住も…
日本からの移住事業も再出発していた。
時期は、公式には国交回復の翌一九五三年ということになっている。
ただ終戦直後から渡航が始まり、一九五二年までに計四〇〇人以上が入国している。これは、いわゆる「近親呼寄せ」で、戦前、日本に行き、開戦で戻ることができなくなった人々を対象とした行政措置であった。
移民の入国はできなかった。が、それでも送り込もうとした団体がある。日本青年協会である。
この協会は四、六章で紹介したが、終戦後も青年指導者の養成事業を継続していた。実務の中心は依然、関屋龍吉であった。
鈴木貫太郎は軍人ということで、顧問を辞した後、一九四八(昭23)年に他界した。
宇垣一成も同じ理由で、会長職を退いたが、協会とは懇意にしていた。
その協会関係者たちに、ブラジルから慰問包みが届いた。中身は砂糖であった。十数年前、協会が送り出した吉岡省からの、敗戦下の物資不足を心配しての贈り物であった。(吉岡省については四章参照)
吉岡はイタケーラで桃作りを続けていた。その贈り物に対する宇垣からの礼状に、こう記してあった。
「先の見えない日本社会の暗い状況の中で、ブラジルに行ける道が開ければ、青年に少しでも明るい希望を持たすことができる。なんとか呼び寄せて貰いたい」
当時の日本は、敗戦で全くの閉塞状態にあった。(つづく)









