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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(324)

2026年1月21日


その一つが、移民七十周年祭が行われた七八年に起きた。国際金融市場で、利子が急上昇し始めたのだ。

外債は、その利子でさらに膨らんだ。同年、四〇〇億ドルを突破した。明らかに、その時期のブラジルには過大過ぎる額であった。

ために筆者の取材先でも、事の重要性が判る人々は、この件に話が及ぶと、憂いの色を浮かべて沈黙したものだ。

そして、もう一つの「何事か」が七九年六月に起こった。第二次石油ショックである。原油価格は二・八倍に暴騰した。

ガイゼルは、その三カ月前、任期を終えていたが、以後ブラジルは、国家そのものが、大破局に向かって滑り出して行く。

そして一九八〇年代から九〇年代にかけて、この国に続発した無数の惨劇の一つが、中沢源一郎が、その身命を捧げ尽くして育て上げ、守り抜いたスール・ブラジルの最期であった。

その時、中沢は故人になっていたが、パカエンブーで大統領と共に見上げた、青く…あくまで青く晴れ上がった空には、暗雲が急接近していたことになる。


資本参加先とのトラブル


前々項で僅かに触れた様に、一九七〇年代の後半、日系企業の進出が急減した。

同時に撤収・休眠化が急増していた。

無論、石油ショックの影響である。高インフレ、高金利、(国際収支の悪化による)輸入制限、市場の冷え込み…などマイナス要因が続出していたのだ。

JETROサンパウロ事務所の資料では、日本企業の進出が始まってから一九八四年までの撤収は九十五社、休眠化は五十九社、計百五十四社あり、三社に一社が撤収・休眠化した──となっている。

日本企業の進出が始まった時期が、明示されていないため、曖昧さが残るが…。

それはともかく、重要なのは、同資料が撤収時期は「九割が七〇年代後半に集中している」としている点である。

休眠化については、触れていない。が、ほぼ同様であったと観てよかろう。

ただし、この資料は既述の孫会社は含んでいない。含めれば、もっと多くなった筈である。総合商社がつくった孫会社などは、殆どが消えたといわれる。

ところで、撤収・休眠化であるが、その原因には、資本参加先とのトラブルもあった。

これについては、初期のハーレスなど数件の事例をすでに記したが、実はその後も頻発していた。

元々、ブラジル・ブームの中では、奇妙なことに、小株主としての同業の非日系企業への資本参加が、驚くほど多かった。

初めから予定していた如く、ドンドン…という調子だった。その参加先との関係が拗れたのである。

比率の上では、それが最も多かったのが、繊維業界だった。

特に目立ったのが化繊メーカーである。化繊メーカーは、ブラジル・ブーム以前は一社も出て来ていなかった。が、主だったところは殆どが進出、右の経緯を辿った。

繊維以外の他の業界も、新規の進出の場合、比率は別として、撤退・休眠、トラブル化は似たようなものだった。

これが不可解な傷跡となっている。

この種のことは、以前は少なかった。何故、急に増えたのか。

それには、相応の経緯(いきさつ)があった筈である。そうでなければ、日本の企業が、そんな軽率な真似をする筈はない。

では、その経緯とは?

筆者の脳裏に、一つの推測が存在する。

それを思いついたのは三つのヒントがあったからである。いずれも、南米銀行の橘専務を取材中、その口から出た言葉だ。

その一は七一、二年頃、日本でブラジルへの進出ムードが強まっていることが判った時のことである。

「進出するなら、富士銀行が南銀に対してそうした様に、こちらの企業に小株主として資本参加、人を派遣し勉強するのが良い。南銀も、南米諸国に出て行く時には、そうするつもりだ」

という内容だった。

その様にして現地に慣れながら、事業を前に進めて行くのが適当…という意味であったろう。

その二は、住銀がハーレスへの資本参加を発表した直後のことである。

ポルトガル語の卑猥な俗語で、こう罵ったのである。

「なんという愚かなことを!」

ハーレスの様な悪質な相手を選ぶなど、愚か極まるというのである。

その三は、ブラジル・ブームが終わって何年かしてのことである。

「こちらの企業に小株主として参加するよう、ワシが勧めたんだ」

と憮然としていた。

その時、筆者は何故か詳しく訊かなかった。

が、やがて、こう推測するようになった。

橘が、そう勧めたのは、かなり早くからで、相手も特定の企業ではなく、多数のそれだったのではあるまいか…と。経団連の使節団にも、そうしたのであろう…と。(つづく)


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