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ブラジルでも新年は「道」の事始め=正月とAno Novoはどう違う?=サンパウロ在住 毛利律子《寄稿コラム》

2026年1月24日

ブラジルで新年寒稽古


柔道家・故篠原正雄さんの道場がビラソニアにある。ご一家とは旧知の間柄で、この新年1月11日、未亡人の篠原幸子さん(95歳)は、「道場では寒稽古が始まっていて、大賑わいで大忙しです」と、元気に明るく語っていた。

「寒行」「寒稽古」は、「道」「術」「芸」の事始めとして行われる伝統行事で、正月祝いに組み込まれてきた。それが、日本から遠く離れたブラジルの新年においても、「柔道の寒稽古」として、しっかりと根差し、受け継がれているのである。「寒稽古は kangueiko 」と、日本語がそのまま使われている。

ブラジル日系社会の先人たちは、日本固有の「道」をも移民の国に持ち込み、その種を植え、育て、継承し、見事な融合文化を築き上げてきた。

道場を訪れると、ブラジル人の幼い男女が、技の習得もさることながら、教え込まれた「礼儀」をよく守り、深々と頭を下げ、手をついて、「ありがとうございました」と大きな声で挨拶する。その姿の何と可愛らしく、清々しいことか。見ているこちらの心まで洗い清められるような、格別な気分になる。

金戒光明寺の除夜の鐘(Haruo.takagi, via Wikimedia Commons)
金戒光明寺の除夜の鐘(Haruo.takagi, via Wikimedia Commons)

日本語で「正月」、ポルトガル語では ano novo(新年)―どう違うのか


お正月の「正」の字には、「あらためる」という意味があり、一月を「年をあらためる月」として正月と呼ぶようになったとされている。正月は、日本の年中行事の中でも最も古い行事の一つで、仏教が日本に伝わった六世紀半ばより前から始まっていたと考えられている。それは、現在のお盆のように先祖の霊を祀り、慰霊する行事に似ていた。やがて、五穀豊穣を司る年神様を迎え、その年の豊作を祈る行事となり、各地の神社仏閣に集う人々によって全国に広がっていった。

ちなみに、元旦は一月一日の午前中を指す言葉であり、一月一日の午後は元旦ではない。一方、元日は一月一日の全日を指す言葉と定義されている。

ブラジルの正月は、植民地時代から続く異民族・異宗教の混淆による崇拝文化として形づくられてきた。カトリックの伝統である深夜のミサ(ミサ・デ・レヴェイヨン)や、北東沿岸部を中心に、アフリカ由来の宗教に基づき白装束をまとって元旦を祝う行事が定着しているという。世界各地で見られる大晦日の打ち上げ花火という「賑やかな祝祭」も、ブラジル新年の風物詩である。

コパカバーナ海岸(リオデジャネイロ)で行われた年越しイベント「レヴェイヨン2026」の様子(Foto: Antônio Scorza | Riotur)
コパカバーナ海岸(リオデジャネイロ)で行われた年越しイベント「レヴェイヨン2026」の様子(Foto: Antônio Scorza | Riotur)

2025年度、市が計上した年末花火の予算は180万レアルだったという。日本の有名花火大会では数億円規模の費用がかかることを思えば、夜空に一瞬だけ輝いて消える花火に大金を使うことに対する不満を、私の周囲で聞いたことはない。

対照的に、日本の正月は、除夜の鐘(108回の寺院の鐘の音)に包まれた、静謐(せいひつ)で厳粛な空気の中で始まる。初詣や初日の出参りでは、日頃の無信心はともかく、一年の無病息災や幸運を熱心に祈願する。初日の出を拝む習慣は、元旦に天皇陛下が拝礼する「四方拝」にならい、庶民の間にも広まったとされている。

正月の遊びは、現代ではほとんど廃れた傾向にあるが、正月の風物詩として、連凧や凧合戦、百人一首かるた、独楽遊び、羽根つきなどが、今も新年行事として続いている。

サンパウロで、「お年玉」を入れるポチ袋を折り紙で作り、子どもに渡したところ、「ここでは子どもにお金をあげる習慣はありません」と言われたことがある。お年玉の語源である「御歳魂(おとしだま)」は、正月に年神様に供える丸餅で、福を分かち合い、無病息災を祈る意味が込められていた。

それが次第に、現金を贈る現在の形へと変化したのである。祝儀袋に入れるお札は、銀行から下ろしたてのピン札が望ましいとされるが、ブラジルでは、こうしたこだわりは難しいかもしれない。

要するに、日本の正月は、単なる「去りゆく年の暦の切り替え」ではない。近年、風習に変化は見られるものの、歳神(年神)を各家庭に迎えるための年末の大掃除、門松作りや鏡餅を供えるための年末餅つき、非日常の「三が日」をゆっくり過ごすためのおせち料理や雑煮の準備が、大晦日ぎりぎりまで整えられるのである。

ところが意外にも、大移民国家ブラジルでも、この年末恒例の伝統行事に多くのブラジル人が参加している姿をよく見かける。人懐っこく力持ちなブラジル人が餅つきに加わると、場の雰囲気は一気に明るくなり、日本語の掛け声も高まり、本当に幸せで平和な気持ちに満たされる。

異民族と結ばれて形成された家族関係、社会関係が、子々孫々の世代へと見事に花開いているのは、日本人移民先駆者の大きな功労にほかならない。

歌会始の儀の様子(出典:政府広報オンラインwww.gov-online.go.jp/imperial_family_channel/202502/video-293489.html)
歌会始の儀の様子(出典:政府広報オンラインwww.gov-online.go.jp/imperial_family_channel/202502/video-293489.html)

皇室の「歌会始の儀」


ちょうどこの原稿をまとめていた13日の夜、日本時間午前10時から、皇居で歌会始の中継が始まった。

歌会始(うたかいはじめ)とは、毎年1月に皇居で行われる、天皇、皇后両陛下および皇族のお歌と、一般国民から募った短歌(詠進歌・選歌)を披露する新年の恒例行事である。鎌倉時代から続く宮中儀式が、明治以降、国民参加型へと発展し、現在ではテレビ中継も行われる国民的文化行事となっている。

2026年のお題は「明」。海外14か国・地域からの70首、点字作品10首を含む計1万4600首の中から選ばれた10人の歌が読み上げられた。能登半島地震で被災した最年長入選者、石川県穴水町の農林業・室木正武さん(80)は、「被災地の明るい未来につながれば」と語った。

天皇陛下に招かれて歌を詠む召人(めしうど)には、アイルランドと英国の国籍を持つ翻訳家、ピーター・マクミランさん(66)が選ばれた。宮内庁によると、外国籍の召人は初めてで、「歌会始は日本人の精神性そのものを表している。参加できることは大変光栄」とコメントしている(読売新聞オンライン、2025年12月25日)。

ブラジル日報では『ブラジル歌壇』が定期的に掲載され、短歌文化の継承と発展に寄与している。前述の柔道と同様、ブラジル日系社会には、日本のさまざまな「○○道」が根付いているが、俳句と短歌もまた、それぞれ独自の流派や作法、深い世界観を持つ文芸の「道」である。

高浜虚子の『俳句への道』表紙
高浜虚子の『俳句への道』表紙

高浜虚子の『俳句への道』


俳句を嗜む人であれば、この俳人の名をよくご存じであろう。

『俳句への道』の帯には、「晩年の俳人・高浜虚子が、次女・星野立子の主宰する『玉藻』に連載した俳話をまとめたもの。俳句の本質、味わい方、作り方について自在に語り、客観写生・花鳥諷詠の理念がやさしく説かれている」と紹介されている。日本の風景や花鳥諷詠と俳句とを重ね合わせて論じた評論、正岡子規や河東碧梧桐についての描写は、極めて美しく奥ゆかしい日本語の数々で綴られており、深く心に刻まれる、忘れがたい一書である。

例えば序文では、日本の国土自然の美は他国に比しても決して劣るものではなく、「日本には昔から、この自然の景色を諷詠し、自然と共にある人間を讃美した文学がたくさんあるように思います」と述べられる。こうした自然に囲まれた環境があったからこそ、古典から受け継がれる「景色を諷詠する文学」が育まれてきたのだ、という認識が示されている。

俳句・短歌の古典的名手としては、平安時代の三十六歌仙である柿本人麻呂や小野小町をはじめ、西行、宗祇、芭蕉、蕪村、小林一茶、正岡子規らの思想が挙げられる。仏教思想の諸法実相や一念三千の法門の影響、戦争、客観写生、極楽の文学へと話題は滔々と広がり、その間に数多くの選りすぐられた俳句が配されている。

私の知人であるブラジル人のパライバ州立大学英文学部教授は、俳句・短歌の愛好者であり、この分野を研究している。彼女の話によれば、ブラジル人の文学部教授の中にも達人が少なくないという。彼らは日本文化研究にとどまらず、俳句や短歌を詠むことを通して、日本語の豊潤さや美しさに深く魅了されているのである。

俳句・短歌という、世界に類を見ない文学を学ぶうえで、本書はまさに必読の一冊であり、ぜひ一読を勧めたい。


人格を磨く道


さて、ブラジル社会では武道系の「道」を究める団体が健在で、しかも世界のスポーツ界でもトップクラスの活躍を見せる例が少なくない。この「○○道」とは、いったい何を究める営みなのであろうか。

まず「○○道」は、大きく武道系と文科系に分けられる。武道系には、剣道、弓道、柔道、相撲道、空手道、合気道、杖道、居合道、長刀(なぎなた)道、銃剣道、殺陣(たて)道、跆拳道(テコンドー)などがある。

ブラジルで盛んな柔道は、もとは柔術と呼ばれ、武士が刀や槍を用いず、素手で行う闘争術であった。それが明治初期に統合され「柔道」となり、高い精神性を備え、人の道を究める意義を持つものへと昇華された。

文化系では、書道、茶道、華道、香道、歌道、連歌などがあり、一連の作法を通じて精神修養や人間性の向上を目指す「道」である。

すべての「道」には、それぞれに手本があり、師匠から弟子へと直接伝えられる独自の教え方、学び方が存在する。

宗教においても同様で、仏教にしても、それは「仏道修行」を日々勤めることを目標としている。修行者は法を学びつつ、修行によって自らの人格を練り上げ、全体的な人間完成を目指す。そして最終的には、極致の修行段階として「道」を悟るに至るのである。

また、日本の芸事や技の世界には、「芸は盗め」という格言がある。これは、技術の習得にとどまらず、師匠の技を真似ることから始め、長年の修養を重ねた末に、はじめて独自の「道」を見いだすことができる、という教えである。


○○道の起源は中国思想


古代中国の二大思想には、「道家思想」と「儒家思想」があり、いずれも「道」を重視している。儒家のいう「道」とは実践道徳であり、人間が生きるうえで手本とすべき最高の理想形を指す。その「道」を具体化したものが「礼」であり、目上の人や親に対する礼節を、尊重すべき価値として位置づけている。

老子に代表される道家思想の「道」も、人としてのあり方を示す点では儒家と共通するが、さらに一歩進めて、人間社会にとどまらず、宇宙万物の生成と存在そのものが「道」によって成り立っていると考えた。儒家が「道」を人間学として捉えたのに対し、道家はそれを無限に拡張し、自然哲学的、あるいは自然科学的に捉えた思想であるとも言える(蜂谷邦夫『「老子」の基本──「道」とはなにか』NHK別冊100分de名著)。


1年の計は元旦にあり


人は年始に多くの目標を立てるが、年末には後悔ばかりが残る、ということも少なくない。そこで市井の成功者に秘訣を尋ねると、「成功の鍵は、目標を一つに絞り、簡潔かつ実現可能な形で設定すること。具体的な行動計画と定期的な振り返りが重要であり、小さな一歩を積み重ねることが、長期的な成長につながる」と口をそろえる。

ブラジル日系移民の先駆者たちは、数々の苦難を乗り越えて道を切り開いた。そして、その背中を追う人々が次々と現れた。歴史や文化の発展には、常に「先頭を征く者」と「それに続く者」の関係が存在する。個人の決意と、それを貫く精神が伝統の継承へと結実し、私たちは今、その恩恵に浴しているのである。


【参考文献】

『俳句への道』高浜虚子

インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp


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