ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(2)

 筆者が、おんぼろタクシーの中で聞いた先輩の話と事実は、勲章に関しての肝心なところが逆だったことになる。
 この受勲辞退の一件は、おもしろい展開をした。
 まず、南樹の右の発言の直後、総領事館側が敏感に反応した。広岡欣之介という首席領事が、パウリスタ新聞の取材に応えて、南樹を痛烈に批判したのである。(当時は、右の三邦字紙が発行されていた)
 これも同紙の保存版によると、こう言っている。
 「…(略)…独りよがりの狷介さと権威を批判することで、己を高しとする態度は、余りにも小児病的で鼻持ちならない。こんな人は叙勲に値しないのではないでしょうか」
 これで、サアー、南樹が怒った。筆者が朝、出社、編集室に入ってゆくと、編集長の机の傍のソファーに南樹が腰かけていた。編集長に指示されて応対すると、広岡発言に噛みついて猛烈な反論をした。これまた保存版によるが、まず館側の矛盾点を鋭く突いている。
 「広岡は、ワシが叙勲に値しないと言ったそうだが、それなら何故、総領事はワシに勲章をくれようとしたのか。ここに叙勲のやり方のデタラメさが、歴然としているではないか!」
 さらに「小児病的」という箇所についても、政府からの勲章や博士号の授与を断った歴史上の高名な人物たちの事例をあげて「彼らは小児病だったのか!」と論駁、加えて首席領事の職務上の怠慢に関する攻撃材料まで用意しており、それを追及「総領事は広岡を処分せよ!」と迫っている。
 一の矢を敵の急所=矛盾点=に射込み、続けて二の矢、三の矢まで鋭く放っているわけだ。この老人、論争のコツを心得ていたのである。
 巷では読者が、このヤリトリに大喜びしていた。南樹の反骨精神に喝采する声が多かった。一読者はサンパウロ新聞に投稿、その反骨精神を絶賛した。文末を「南樹翁、万歳!」と結ぶ興奮ぶりであった。
 この人は南樹を形容して、懐中無一物、一匹狼などという字句を使用している。熟知の間柄であったようだ。
 時の総領事は近藤四郎という好人物で、騒ぎには苦笑していたが、特に干渉はしなかったとみえ、首席領事は、ほかにも問題発言を繰り返した。すると、こちらも人気が出た。丸く広く愛嬌のある顔つきで、思ったことはポンポン言ってしまうが、悪気のない性格だったからであろう。三十代のキャリア組のお役人だった。

水野、上塚、平野

水野龍(Public domain, via Wikimedia Commons)

 ところで、筆者が最初に南樹から聞いた話の中に、意識的に記事にしなかった部分がある。記事にしたことは、忘れてしまっているのに、ヘンなもので、こちらは、あらまし覚えている。
 受勲を辞退する理由を、南樹が云々していた時のことである。その口から人の苗字が次々と飛び出した。水野、上塚、平野、と。
 ややあって筆者は、それが水野龍、上塚周平、平野運平のことである、と気がついた。この国に於ける日系社会史上の「代表的パイオニア」として、評価が定着していた人物である。偉人視する説すらあった。
 ところが、南樹はその時、まず水野とその偉業とされる移民事業を罵ったのである。次いで上塚とその功績といわれる植民事業を、憤懣ヤルかたないという口調で非難した。平野についても「平野だって……」と舌を動かし始めたが、すぐ口を噤んで、一寸きまり悪そうに、こちらをチラッと見て、話を中断させてしまった。
 筆者は、後日、資料で知ったのだが、水野と上塚は一九三三(昭8)年、日本政府から勲章を貰っている。戦前のブラジル在住の邦人に対する叙勲は、これが最初で最後である。平野は貰っていない。その十数年前、若くして鬼籍に入っている。
 前項も含めて、以上の幾つかの材料から判断すれば、南樹は水野、上塚の裏面をあげて、叙勲のデタラメさを論証しようとしていたのである。ただ、そうしている内に舌がすべり、常に二人とともに「代表的パイオニア」扱いされている平野まで批判しかけたのだ。
 しかし平野は勲章を貰っていないことを思い出し、自分の話が本旨から逸れていることに気づき、聞き手の筆者も同様に気づいているのではないか……と、きまり悪くなり、口を噤んだのであろう。
 話の逸れはともかく、ここで重要な点は、南樹が水野たち三人に対して、通説とは大きく異なる人物評価をしていた━━そのことである。
 ただ「そのこと」は、筆者は、かなり日時が経ってから悟ったのであって、この時は知識不足から、話の内容を充分に咀嚼できずにいた。ために、記事の中で的確に表現できる自信がなく、原稿から削ってしまったのである。
 削ったのには、ほかにも理由があった。
 当時、一世の年輩者の中には、何気ない雑談の中でも、誰か人の名前が出ると、必ず毒を含んだ舌で、こきおろし、こきおろししている内に、別人の名前を次々思い浮かべて同じことを……という悪癖のある人間が少なくなかった。(つづく)

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