南米産業開発青年隊協会=出席者激減だが賑やかに談笑

南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長)の2024年度定期総会が18日午前10時過ぎ、サンパウロ市のジャパンクラブで開催され、会員とその家族ら約10人が出席した。会場には、同青年隊制度創設に奔走した建設省事務官の長沢亮太さんの遺影が飾られた。
青年隊は農家の二、三男を技能者として養成し、戦後復興のために役立てようと建設省により作られた制度で、その一部326人がブラジルへ送り込まれ、農業を始め建設、通信、測量等の分野で当地の国土開発に貢献した。
例年30人ほどが出席するが今年は病欠が目立ち出席隊員は7人だった。最初に先没者の御霊に1分間の黙とうを捧げた後、渡邉会長が開会の辞をのべ、早川量通(かずみち)さんが司会、長田譽歳(おさだ・たかとし)さんが書記に選ばれた。
23年度活動報告では渡邉会長が、月例会、慰霊碑清掃、3カ月に一度の会報発行が活動の3本柱と前置きし、「仲間意識を醸成してくれる会報は非常に重要。事実上、志方さんに編集作業を全面的に依存しており、感謝するしかない」と述べた。志方さんは昨年後半から娘が住む静岡県富士宮市在住となったが、今も編集作業を続けてくれている。渡邉会長が昨年中ごろに脳溢血を患い、養生していた関係で、昨年11月の日本の青年隊創立70周年式典には志方さんが出席。その様子は会報225号に報告された。
長田さんが会計報告をし、23年度決算は収入1万8749レアル、支出1万7855レで黒字となり昨年末の残高は2万6985レとなった。主な支出は会報編纂にかかる諸費用。斎藤信夫さんの特別寄付などを含めて42人から会費などの支払いを受けた。

24年度活動予定と予算もほぼ同様だと説明され、その場で拍手承認された。渡邉会長はその際、「ぜひ能登半島地震に寄付をしたい」と提案し、2千レを石川県人会に送金することが承認された。
役員改選では「現状維持」が承認された。遠く首都ブラジリアから出席した吉田茂治さん(83歳、長崎県出身)は閉会の辞として「ご苦労様でした」と述べた。吉田さんに首都の様子を聞くと、「コチア青年は3年ほど前までは30人ぐらい居て賑やかだったのに、90代を中心にバタバタと亡くなって今では約10人。私のオヤジも86歳で亡くなった。子供が面倒を見てくれるので、私もあと2、3年は遊んで暮らそうと思っている」と寂しがった。
子息の吉田シゲナリ・アウロさんは連邦直轄区会計監査院(TCDF)の監査役で、部下が160人もいる重責を担っているという。早川さんは「我々が知らないだけで、吉田さんの子息のような立派な青年隊の子孫があちこちにいるのでは。そのネットワークが作れたらいいのに」と提案していた。
最後に出席者全員で「産業開発青年隊歌」を歌って閉会し、少人数ながらも新年会で賑やかに談笑した。