レアル・プラン開始30周年=経済安定実現、成長の土台に=試行錯誤の末、インフレ抑制

1日でレアル・プランが導入されて30年が経過した。ハイパー・インフレを止めるべく導入されたレアル・プランの功績を同日付アジェンシア・ブラジル(1)などが報じている。
レアル・プランが導入される前のブラジルはハイパー・インフレにあえいでいた。この傾向は軍政末期の80年代前半から存在し、慢性的に続いていた。
民政復帰後の1985年以降、連邦政府は1986年のクルザード・プランから始まり、87年のブレッセル、89年のサマー、90年のコーロル・プランまで幾度のインフレ抑制対策を打ったが、効果がなかった。90年には80%を記録していた年間インフレは一時、10%を割ったが、その後は再び上昇に転じ、レアル・プラン開始直前の94年6月には12カ月間のインフレ率が4922%に達するほど高まっていた。
(2)。
コーロル政権を継いだイタマル・フランコ政権は、当時のフェルナンド・エンリケ・カルドーゾ(FHC)財相とインフレ抑制対策に乗り出した。この時の対策案は、経済学者のアンドレ・ララ・レゼンデ氏とペルシオ・アリダ氏の名前にちなみ、「ラリダ・プラン」と呼ばれていた。
1980年代のイスラエルのインフレ対策をモデルにし、並行通貨を導入することで調整を行い、後に新通貨に移行するという案は1984年に提示された。これと似た形のものは86年のクルザード・プランでも導入されたが、その時は「インフレ抑制のための給与凍結」を長期間行いすぎて失敗したため、それを修正した形で再導入することになった。
並行通貨「実質価値貨幣(URV)」が導入されたのは1994年2月28日のことだった。URVは伯国のインフレの元になっていた「インフレ慣性(イネーシア・インフレーション)」対策のためで、賃金などの支払いや流通そのものは旧来のクルゼイロで行い、日々のインフレは記録させつつも、米国の1ドルに近いところでほぼ固定した状態でURVを設置することで、二つの並行した貨幣価値を示した。
そして94年7月1日に新通貨「レアル」が導入された。導入時の1レアルは1URVと等価で、2750クルゼイロに相当した。過去のインフレ対策が何度も失敗していたこともあり、レアル・プランも当初は懐疑的に見られていたが、導入直前の6月は47・43%だった月間インフレ率が8月には6・84%、12月には1・71%になった。
また、施行から2年6カ月の時点の年間インフレ率は5%まで落ち、1999年には年間インフレ率が1・6%まで落ちた。FHC氏はレアル・プランの成功で1994年の大統領選に当選。以後、2期8年の任期を務めている。
レアル・プランの成功は、連邦議会の協力が大きかったという声もある。1993年下半期にレアル・プラン導入のための暫定令(MP)が出されて以来、上院と下院での修正は計12回に及び、レアル・プランが正式に承認されたのは、レアル導入わずか3日前の1994年6月28日だった(3)。
レアル・プランはその後、「経済の安定発展のためにインフレ抑制が効いた」ということで国内で高い評価を得た。経済学者のアレッシャンドレ・エスピリトサント氏は、「地球上の最近の経済対策で最も成功したものの一つ」との評価を与えている。