site.title

全く異なる都市になった?!=首都計画コンペ2、3位とは

2024年10月19日

ルシオ・コスタの「パイロット・プラン」(Foto: Arquivo Público do DF/Fundo Novacap)
ルシオ・コスタの「パイロット・プラン」(Foto: Arquivo Público do DF/Fundo Novacap)

 首都ブラジリアは全く異なる都市になっていたかもしれない――今から67年前の1957年10月、当時の大統領ジュセリーノ・クビチェックが、首都をリオからブラジリアに遷都する日付を1960年4月21日と定める法案に署名した。新首都の都市計画は1956〜57年にかけて実施されたコンペにより選定され、建築家ルシオ・コスタの「パイロット・プラン」が優勝した。もし別のプランが勝っていたら、まったく違った都市になっていた。
 このプランはブラジリアを、行政機能を中心にした新首都として幾何学的かつ機能的に設計したものだ。都市全体を飛行機の形に見立て、政府機関が集中する「モニュメンタル(Monumental)」、住居、学校、教会などが集まる「住宅(Residencial」、緑地エリア「田園(Bucólica)」、商業・公共エリア「共同(Gregária)」の区画に分けた構造が特徴だ。
 飛行機の胴体部分に政府機関が集中し、翼部分に住宅や商業エリアが広がる。ブラジリアは近代的な都市計画の象徴であり、その広大な空間における独特な配置と都市環境で知られる。
 コンペでは26の建設案が審査され、リノ・レヴィやMMMロベルト事務所などの提案も高く評価された。知られざる他のプロジェクトについて、13日付G1が(1)紹介した。
 クビチェック元大統領は、建築物の設計をオスカー・ニーマイヤーに依頼し、都市計画自体についてはコンペを実施することを決定した。
 ブラジリア大学(UnB)の建築教授で、14年間ニーマイヤーと共に働いたクラウジオ・ジョゼ・ピニェイロ・ヴィラール・デ・ケイロス氏は、ブラジリア建設プロセスがわずか4年で完成したことは、驚くべきもので「奇跡だ」と評価した。
 同コンペの審査員は建築家らが提案した26件の案を審査し、7件が最終候補に残った。
 第3位は2案が同点で選ばれた。一つは建築家リノ・レヴィのプロジェクトで、その1番の特徴は「スーパーブロック(複数の街区を一つの大きな区画として捉え、内部への自動車の乗り入れを制限して住民に快適な生活環境を提供するもの)」の導入だった。住宅棟は当時としては珍しい50階建てが計画され、より「重厚」な印象を与えるものだった。
 第3位に選ばれたもう一つの提案は、ロベルト3兄弟(ミルトン、マウリシオ、マルセロ)によるMMMロベルト建築事務所のものだ。このアイデアによると、新首都は七つの大きな円形エリアで構成されることになっていた。
 ケイロス教授によると、ロベルト兄弟の提案は「革新的」であり、これらのエリアは「非常に巨大で、スーパーブロックよりもはるかに大きかった」という。
 1位とわずかな差で、惜しくも2位に終わった建築家ボルシ・ミルマンの案。これについてケイロス教授は、デザインにはいくつかの主要な線があり、都市の構造は「非常に幾何学的な」ものになっただろうと説明した。インタビューでボルシは「2位になったのは栄光だった」と述べている。

画像スライダー (3枚)


地上45メートルで宙吊りに!=女性が窓掃除中に足滑らせ前の記事 地上45メートルで宙吊りに!=女性が窓掃除中に足滑らせ葬儀中の乳児に生命反応=2度の死亡宣告に両親心痛次の記事葬儀中の乳児に生命反応=2度の死亡宣告に両親心痛
Loading...