ブラジル マンダカルー物語=黒木千阿子=(19)
マンダカルーは、枯れ果てた大地の中で、真っ先に白い花を咲かせ、道行く人に春の訪れを告げます。春の訪れ、それはもう少しの辛抱で雨季がやってくる。
さあ、みんな種播きの準備をしなさいという知らせなのです。
やがて、首を長くして待っていた雨が降り始め、一雨ごと山の緑が蘇ってきます。
ところが、気の早いマンダカルーは、花を散らして、体中にびっしりと赤い実をつけて秋の装いをこらすのです。いち早く、独りで秋を迎えるマンダカルーは、なぜ独りでそんなに先をいそぐのでしょう。
なぜ、他の草花と一緒に春を楽しみ、夏を謳歌しないのでしょうと、私は長いこと不思議に思っていました。
けれどもある日、思いがけない光景を目の当たりにして、ようやくこのなぞを解くことが出来ました。
ご存じのように、雨の降らない乾季には、大地は乾き切って、野山は枯れ果て、川という川は水無川となって、ゴロゴロ石が醜い川床を見せています。草という草は食べ尽くされて、牧草地に残されているのは、小鳥たちのねぐらになっている常緑樹と、あちこちに延々と立っているマンダカルーだけなのです。
さて、そこに登場してくるのが牛たちです。彼等は食べる物も飲む物も底を尽き、これ以上耐えられなくなった時に、マンダカルーの前に現れるのです。
まず、群れの長である堂々たる風格の牡牛が後ろ足で地面を踏み固めて、前足でマンダカルーを揺すり始めます。まるで、お相撲さんがマンダカルーと闘っているように見えますが、マンダカルーには全く闘う意思はなく、すべてを牛のなすがままに任せ、武器である刺針をつかうこともしないのです。
いえ、それは牛たちの前にひざまづいて、自分の命を捧げて満足しているようにさえ見えるのです。どさっと音を立てて、マンダカルーが倒れると、母牛や子牛たちが、たっぷり水を含んだそのマンダカルーをかみ砕き、食べ始めます。さっきまで木の葉をつまんでいた馬たちも走り寄ってきます。
時に牛たちは、固い根元を根気よく噛んでマンダカルーを倒すこともありますが、根こそぎ引っこ抜いて食べてしまうということはありません。
牛たちは誰かに教わったわけでもないのに、その根からまたマンダカルーの芽がすくすくと育って自分たちの喉の渇きを癒してくれることをちゃんと知っているからでしょう。