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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(237)

2025年8月30日

 十人は小笠原から訓練と命令を受けたという部分については、日高も山下も、

 「そんなことは全く無かった」

 と否定した。

 筆者は、この供述調書の日本語訳を、押岩嵩雄に見せてみた。押岩は一読、呆れ、かつ真っ向から否定した。

 「何故、こんなモノが存在するのかは判らないが、真実その通りなら、小笠原さんたちは起訴されていたろう。臣道連盟の吉川さんたちも、そうなっていた筈だ。

 しかし彼らは裁判を受けていないではないか。起訴できなかったのだ。

 この調書は疑わしい。仮に当人たちのアシーナがあったとしても、決行者は、大人になってから移住して来た者は、大抵ポルトガル語が解らなかった。調書とか、その種の法的書類にはアシーナはしたが、皆、いわゆるメクラ判だった。

 そのとき書類の内容を、通訳が翻訳してくれるということもなかった。 

 決行者たちもメクラ判を押した、と言っていた。命を捨ててやったのであり、書類の中身など、どうでもよい、という気持だったのだ」

 言われて見ると、この調書には、オカシナ処が幾つもある。

 例えば襲撃決行者の内の四人が、連盟との関係について供述しているが、山下博美は、

 「小笠原亀五郎が非常に心配していたことは、襲撃実行者の全員が、秘密結社の臣道連盟の加盟者であることを、何が何でも隠すことであった。…(略)…しかし私は昨年の十一月以来、連盟員である…(略)…小笠原の最後の命令は、連盟員であることには触れるな、この秘密を守るためには、獄中で自決せよ、というものであった」 

 と話している。

 上田文雄、吉田和訓、日高徳一も大同小異の供述をしている。つまり四人とも、

 「自分が連盟員であることは、命をかけても秘匿せよ」

 という命令を受けたと言いながら、同時に、

 「自分は連盟員である」

 と、ペラペラ喋っているのである。

 山下に、これを見せると、一読、

 「こんなことは言ってはいない。ピアーダだ」

 と、一笑に付した。 

 自分が連盟員であることは命をかけても秘匿せよ、という命令を受けていながら、同時に、自分は連盟員である、と簡単に自供するなどということは、話の内容そのものが矛盾しており、こうなると、もう笑い話だというのである。

 筆者も(そりゃ、そうだ)と内心同意したが、しかし、この調書には、ポルトガル語が解った山下の署名があるのである。

 その署名を見ながら、山下は、こう言った。

 「私の記憶では、取調べの後、エスクリヴォンが作成した調書を見せられたが、別段、問題はなかったのでアシーナした。

 しかし、ここに記されてあるようなことは書いてはなかった。自分が、その部分を見落としたか、捏造だろう」 

 エスクリヴォンとは、取調べの時、書記役をつとめる刑事のことである。この調書の一頁の最下段にはエスクリヴォンはオゾリオ・ロンドンと記されており、署名もある。

 「あのロンドンなら、やりかねない」 

 と、山下は呟いた。やりかねない、とは改竄のことである。

 山下以外の調書も、すべてエスクリヴォンはロンドンとなっている。

 この名は前章でも出た。被留置者に暴力を振ったり、天皇の御真影を踏ませたりした男である。

 筆者は、この調書に繰返し目を通している内に、おかしなことに気がついた。 

 調所はDOPSの名称入り公用箋に、タイプライターで打ち込んだものであり、一枚ずつバラバラである。始めから背の所を綴じこんだ書類ではない。 

 が、頁ナンバーが入っていない。さらに所々で、DOPSの名称が入っていない箋が使用されている。一枚ずつ供述者が署名しているが、その署名がない頁もある。 

 どうも臭い。これなら、いくらでも細工ができる。こういう調書を作ること自体が怪しい。

 筆者は日高にも、この調書を見せた。日高は読みながら、無意識に立ち上がり、声高く叫んだ。

 「皆、判で押したように同じことを言っているではないか。馬鹿馬鹿しい! 

 確かにアシーナはあるが、こんなことを言う筈がない。アシーナをする時、内容は読ませて貰えなかった。読んでも判らなかったろう。

 自分がポ語を本格的に勉強したのは、数年後に刑が決まって服役してからだ」

 なお山下も日高も、DOPSで取調べの折、協力者のことは除いて、すべて事実通りスラスラ供述した。そのせいか拷問は受けなかった。

 従って拷問による自白ではない。(つづく)


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