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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(266)

2025年10月15日


さて、ここで基本的なことを考えてみると、開戦直前、一億円といった巨額の円が、真実、米国から運び込まれたかどうか?

当時の一億円が今日、どの位の価値になるかは、その計算の基準を、どういう指数に置くかで、随分違うようだが、いずれにしても大変な額であったろう。

では、その米国の日本商社・銀行は、そんな巨額の円を、どんな方法で入手し、何のため所有していたのか?

既述の様に、当時、莫大な円が支那に存在、値下がりしたため、第三国に流れたというから、その一部が、米国に運ばれたことはあったであろう。が、果たして日本商社・銀行に買われた…かどうか?

小額ならともかく、巨額な円を買っても、使い道がないではないか。商社が物資を買いつけようとしても、売り手の米国人は、そんなものは受取らず、支払いはドルか(当時の国際通貨であった)ポンドを要求したはずである。

銀行だって使い道はない。

日本への持込みは厳しく制限されていたから、持って帰るわけにもいかない。

為替市場で、その円をドルに換金しようとしても、当時の値下がり傾向からすれば、損失が出ることは明らかだ。

在米国の日本商社・銀行が、巨額の円を所有していた━━という説は疑わしい。

百歩譲って、所有していたとしても、ブラジルに移動させて、どうするのか?

当時の邦人社会には、そんな巨額の円を消化する能力はなかった。ブラジル人から物資を買おうとしても、売り手が、円など受取る筈はない。

横浜正金銀行が、日米開戦の一年ほど前、米政府による資産凍結を回避するため一、〇〇〇万㌦をニューヨーク支店からリオ支店へ避難させたという話はある。

が、これはドルであり、電信送金もできたであろう。

また、米国の商社・銀行が巨額の円を宮坂、宮腰、山本三人に託したというのもおかしい。

個人に、そんな大金を預ける筈はない。託すとしたら法人…三人がトップだったブラ拓、海興、東山の金融部門であった筈だ。(ブラ拓は南米銀行、海興、東山はカーザ・バンカリア)

さらに、その円を託された三人が戦後、認識運動の指導者になる一方、円を売るために裏で戦勝報を流したという部分もおかしい。

円を売りたくて戦勝報を流したのなら、認識運動などするわけはない。(注記しておけば、実際の処は、宮坂は認識運動には余り積極的ではなかった。理由は別の章で触れる)

それと確たる証拠も明示せず、この三人を円売り詐欺の首謀者にしてしまったのは、いかに三人とも故人になっていたとはいえ、乱暴極まる。

山本は一九五五年、コロニアの中心機関文協の初代会長となった。宮坂はその三代目会長であった。宮腰は社会福祉団体救済会をつくり、長くその顧問を務めた。(救済会=九章で名前の出たサンパウロ・カトリック日本人救済会の後身)

筆者は、宮坂と宮腰を直接知っているが、質素な暮らしぶりであった。宮坂は詐欺など働くような人柄ではなく、宮腰はそんな度胸の持ち主ではなかった。

ただし山本に関しては、ある噂があった。終戦後まもなく山本が客に、傍にあった紙包みの山を指さしながら「中身は円だ」と言ったという。これが、邦字雑誌で記事になったことがある。

しかし山本に対する疑惑を明確に否定する人もいる。一九五〇年代、パウリスタ新聞で記者として活躍、その後、文協で会長の山本の下で事務局次長を務めた本永群起である。二〇一〇年急逝したが、その少し前、円売りと山本との噂について、筆者に電話でこう語った。

「私は山本さんとは親しく、妻も山本さんが連れてきた。山本さんの使用していた食器類、私の手元にある。(つづく)


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