ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(273)
同月十八日、幹部の天野ら二十人が総領事館へ押しかけ、先に提出した嘆願書に対する回答を求めて、座り込込んだ。さらに八十人の男女が後から来て加わった。
館側は警察に排除を依頼した。警官と桜組が乱闘になった。叫び声が上がり、数人が負傷した。桜組は取り押さえられた。
総領事館の顧問弁護士平田進は、ポ語新聞の記者から意見を求められ、
「解決策は二つしかない。監獄か精神病院にブチ込むことだ」
と答えた。
後の下院議員平田は、この頃は、総領事館の顧問弁護士をしていた。
三月にも桜組の代表が総領事館へ来て解散費用を要求したり、座り込んだり、館員へ暴力を振るったりした。
館員が逃げ出すと、椅子や机を投げ飛ばし、警官に逮捕された。
四月十八日、州政府の法務局と保安局が、桜組に解散を命令、警兵が出動、一般の隊員をサント・アンドレーの数カ所へ収容した。さらにサンパウロの移民収容所へ移した。
彼らはここで、それぞれ仕事を斡旋され、五月十五日までに全員出所した。
翌年の二月二十四日のパウリスタ新聞は、桜組幹部たちに禁固九カ月の刑が下った、と報じている。
サント・アンドレーに伝わる話では、彼らに鶏舎を貸した養鶏家は、多額の現金を吉谷に献上しており、それを知った家族が激怒、結局、当人は家を出たという。
偽宮騒動⓵
桜組挺身隊出現の翌一九五四年、これまた奇怪至極な変事が表面化した。偽(ニセ)朝香宮騒動である。
当時の邦字新聞は、これを各紙、連日の様に大きく報道している。
内容は、
「加藤拓治というペテン師が、数年前から、日本の皇族の朝香宮の名を騙り、それを信じた人々に、自分の農園で農奴的奉仕をさせている。
加藤には仲間がおり、この一味が、農園での就労者だけでなく、州内各地の(彼を宮様と思い込んでいる)信者たちに、巨額の金品、さらに娘まで多数献上させておる。
その参謀役を務めているのが、有名な詐欺師の川崎三造である」
という要旨であった。
皇族を騙るという発想の奇抜さとずうずうしさに、記者たちも唖然としながら、記事を書いていた。
偽朝香宮の存在が大きく報道され始めたのは、一九五四年一月四日、DOPSの刑事十数人が、シッポー(サンパウロの南方のムニシピオ=エンブー・グァスー=の一地区)にある前記の農園を急襲、家宅捜索をした時からである。
捜索したのは、次の様な経緯による。
前年の八月、農園内で、集団暴行事件が起きた。
現場主任の漆畑誠司ら十数人が、入園者の有家忠ら三人に、殴る蹴るの暴行を加えたのである。
以後も暴力行為があったため、十月、被害者たちが農園を出、サンパウロの知人たちに、暴行の被害や農奴的奉仕の実態を訴えた。(つづく)









