人生の裏地に縫い込まれていた宝石=日本移民の心情に重なる法話=すでに幸せ、後は気付くだけ《編集長コラム》
「お前の中にはすでに宝石がある」
ユーチューブの法話チャンネルで「9割が知らない幸せの正体」という動画(www.youtube.com/watch?v=7DQlA6dIPiw)を見た。テーマは「幸福のパラドックス」。仏教説話をもとにした、よく知られた教えだ。
だが聞き終えたとき、不思議と胸に浮かんだのは、日本からブラジルへ渡った移民の姿だった。以下、概要を紹介したい。
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カンタは誰よりも真面目で、努力を惜しまなかった。若い頃から信じていたのは「努力すれば、必ず幸せになれる」という一点だ。
彼はよく働き、学び、蓄えた。その結果、村一番の屋敷と財産、家族を手に入れた。だが不思議なことに、手に入れるほど心は満たされなかった。喜びはすぐに薄れ、他人への嫉妬や失うことへの恐怖が胸を占める。名声を求め、人々の称賛を集めても、心の穴はむしろ深くなった。
ついにカンタは、すべてを捨てて旅に出る。「本当の幸せ」はどこか別の場所にあると信じて。だが、いくら探しても答えは見つからない。嵐の夜、疲れ果てた彼が辿り着いた山寺で、一人の老僧に出会う。
老僧は静かに言った。「お前は一つだけ勘違いをしている。お前は幸せを外に探し求めている。しかしそれは永遠に見つからない。なぜなら、お前はすでにそれを持っているからだ」と仏教説話「衣裏珠」を語った。
ある貧しい男が、久しぶりに裕福な親友に会って楽しく酒を酌み交わした。その夜、親友は急用ができ、突然出発することになったが、貧しい友人の生活を心配し、彼が寝ている間にその衣の裏に「一財産」といえる宝石を縫い込んだ。だが貧乏な友人はそれに気づかず、物乞い生活をずっと続けた。しばらくして再会した際、貧乏な様子のままの友人に驚いた親友から宝石のことを告げられ、「実は自分は前から裕福だった」と気付くという話だ。宝石は前からあったが、本人が気付いていなかったという法話だ。
老僧はカンタの目をまっすぐに見つめた。「カンタよ。お前もこの男と同じだ。お前の中にはすでに宝石がある。それなのにお前はそれに気づかず、外の世界ばかりを見ているのだ」
人が不幸になる三つの錯覚
「目からウロコ」とはこのことだと、カンタは衝撃を受けた。自分の人生が相馬灯のように駆け巡った。僧は続けた。「良いかカンタよ。人が不幸になるのには三つの錯覚がある。この三つの錯覚に気づかない限り、人は永遠に餓鬼のように彷徨い続けることになる」。
カンタは身を乗り出した。「教えてください。その三つの錯覚とは何ですか?」
僧は指を1本立て、「まず第1は『幸せは外にある』という錯覚だ。人は皆、幸せを獲得するものだと思っている。金、地位、名声、愛、それらを外から奪い取り、自分の城に積み上げれば幸せになれると信じている。しかし外から来たものは必ず外へ去っていく。金はなくなり、地位は失われ、人は去る。外に依存した幸せは、常に失う恐怖と背中合わせなのだ。本当の幸せとは、外から来るものではなく、お前の内側から湧き出るものなのだ」。
僧は2本目の指を立てた。「第2に幸せは未来にあるという錯覚だ。お前はいつもこう思っていただろう。これが手に入れば幸せになれる。この目標を達成すれば幸せになれると。しかし、それは『今は不幸だ』と自分に言い聞かせているのと同じだ。幸せを常に先送りにしているのだ。山の頂上に登れば幸せになれると思って登り続けるが、頂上に着いた瞬間、また次の 高い山が見える。そうやって死ぬまで山を登り続け、1度も『今』を味わうことなく人生を終えるのだ。幸せは未来のどこかにあるゴールではない。今ここにある道。そのものなのだ」。
そして僧は3本目の指を立てた。「第3に幸せは足し算だという錯覚だ。お前は自分を『欠けた器』だと思っている。だからその欠けた部分を埋めようと必死に何かを足そうとする。知識を足し、財産を足し、経験を足す。しかし、いくら足しても器は一杯にならない。なぜならその器には底がないからだ。これを仏教では『渇愛』と呼ぶ。喉が乾いたものが塩水を飲むようなものだ。飲めば飲むほど、もっと喉が乾く。本当の幸せは足し算ではない。引き算なのだ。余計な執着、余計なプライド、余計な欲望。それらを捨て去った時、最初からそこにあった完全な自分が現れるのだ」。
カンタはハラハラと涙を流した。目が見えること、息ができること、今日を生きていること。その一つひとつが実は「奇跡の連なり」だと気付いた。老僧は、今あるものに気づき、味わうことの大切さを説いた。
翌朝、カンタは何も持たぬまま寺を去る。だが世界は、昨日までとは違って見えた。道端の花が輝き、風が祝福のように感じられる。彼はもう、幸せを探す旅人ではなかった。自分自身が、探していたものだったと気づいたからだ。
心に刺さったことじさんの言葉
この法話を聞いて、昨年9月に脳溢血で突然亡くなった、村上ことじさん(行年81歳、広島県出身)に言われた言葉を思い出した。昨年5月ごろ、ことじさんは体調を崩して1カ月ほど音信不通になった。その間、人前に出られない状態になっていたと、後に本人から聞いた。今思えば前兆だったのだろう。体調がある程度良くなった時、いつものように自宅に呼んでくれたことじさんから、こう言われた。
「深沢さん、毎朝、普通に目を覚ますこと、普通に息をしていること、体がどこも大して痛くないこと、杖もなく歩き回れることを、当たり前だと思っていませんか? 私は今回、体調を崩して一人で動けなくなり回復した時、それだけで人生、十分に幸せだと思いました」と。その時のことじさんは、ただならぬ突き刺すような強い眼差しだった。
ことじさんは「ブラジルに来て、人並みの生活を築けた。私たちは日々、何気なく生きているが、それだけで十分幸せなのではないか」と言いたかったのではないか。今さらながらに、ふと思った。
移民の出発点「幸せは外にある」
そもそも、移民人生の出発点には、「幸せは(日本の)外にあると思い込むこと」がある。ことじさんら戦後移民が育った日本は、終戦間もない頃で、文字通り焼け野原から立ち上がる途中だ。しかも、広島には原爆を落とされた。
当時の日本で満足できる仕事はなく、食べ物も乏しく、明日の見通しすら立たない。そんな時代に二十代を迎えた若者たちにとって「海外移住」は、夢というより、生き延びるための現実的な選択肢だったろう。
彼らが、ブラジル行きの話を聞いたとき、胸に浮かんだのは希望だっただろうか。それとも不安だっただろうか。「安くて広大な土地がある」「努力すれば報われる」そうした言葉を信じ、あるいは信じるしかなく、移民は海を渡った。
当時の移民船に乗った若者の多くは、資金もなく、農業経験も乏しく、言葉も分からず、帰る場所を持たなかった。あるのは、日本を飛び出す勇気と、自分の人生を貪欲に切り開く勢いだけだ。簡単には引き返せず、ブラジルで生き抜くしかなかった。
それでも、二十代の彼らは夢を見ていた。「ブラジルには未来がある」「大農場主になれる」「広大な土地を手に入れられる」「日本では果たせなかった成功を、この地でつかめる」と夢見て、歯を食いしばって働いてきた。しかし、現実は厳しかった。土地は痩せ、気候は過酷で、資金も知識も足りなかった。収穫が天候一つで失われることも珍しくなかった。
「幸せは足し算だ」と信じて、儲かれば次々に近隣の農地を買い足し、大きな自宅を建て、別荘まで買った。子供が有名大学に進学して大企業に就職、もしくは弁護士や医者になるように、身を粉にして働いて儲けを学費に注ぎ込んだ。
結果として、多くの移民にとっての最大の仕事は、子どもを育て、家族を守ることだった。移民1世の人生は、常に余裕のない綱渡りだった。
インフレで蓄えが消え、病気で働けなくなり、事業に失敗することもあった。言葉も文化も違う中で示された思いやりは、日本では味わうことのなかった種類の温かさだった。
一方で、日系社会の支えもあった。県人会、文化体育協会、婦人会、青年部、宗教団体、俳句会などの日系団体。不完全で、時に窮屈でもあったが、そこにはいつも「同じ時代を生きた仲間」がいた。助け合い、叱り合い、笑い合いながら、この地に根を下ろしてきた。
やがて子どもたちはブラジル社会の中で立派に育った。忙しさと余裕のなさの中で、日本語や日本文化を十分に子どもたちに伝えられなかったという思いを抱く人も多い。
だが子孫は医師に、教師に、農家に、商人に、労働者に、そして親になり、この国で確かな生活を築いている。それは、親の世代が「自分の夢を削りながら」支えてきた結果でもある。
かつて「貪欲に幸せを求めた」移民青年も、長い長い旅路を終え、今では多くが「足るを知る」「人事を尽くして天命を待つ」心境だ。かつて「新移民」と言われた戦後移民は今、八十代、九十代になり、人生を振り返る年齢に立っている。
「日本人移住は成功だった」と言える今
ブラジル移住を始めた〝移民の祖〟水野龍(1859—1951年、高知)の息子、水野龍三郎さん(80歳、当時)を2011年に取材した際、「移民事業は失敗だったと落胆したまま親父は死んだ。100周年でブラジル社会、日本社会からあのような賞賛が寄せられたことを、まず母親に伝えたかった」と語っていた。
2024年7月には、大戦中や戦後の日本移民迫害に関して、80年の歳月の後、連邦政府が日系社会に公式謝罪を行うという歴史的な日を迎えた。
昨年10月、日本移民が観光地として育ててきた東洋街「リベルダーデ」地区が、世界的な旅行ガイド大手「ロンリープラネット」の国際ランキングで、「2026年の世界トップ25旅行先」に選ばれた。
昨年末、ブラジル陸軍が主催して、日伯友好130周年を記念して、サンパウロ市の南東軍司令部(CMSE)に世界大戦で戦った日系兵士43人を顕彰する日本庭園開所式が行われた。軍司令部に日本庭園が設置されるのは極めて稀だ。
水野龍の心配は杞憂に終わった--。移民が立派に子供を育て、それぞれのやり方で社会貢献した結果が、そのような成果を生んだ。今では、移民個人の人生はもちろんだが、日本人移住自体も「成功だった」と胸を張って、確信を持って言える。
冒頭に紹介した「幸福のパラドックス」は、昔話だが、現代にもよく似ている。幸せを遠くに追い求め、他人の成功に目を奪われてしまいがちな私たち。十分に「人事を尽くした」今、宝石はすでに懐にあると気付く時かもしれない。外でも未来でもない。今ここにある人生の裏地に、静かに、密かに縫い込まれている。(深)








