芸術フットボールを追い求めて=沢田啓明=第2回=なぜブラジルメディアとファンが激怒?=ヴィニの世界最高選手賞落選で

レアル・マドリードでプレーするヴィニシウス(右、All-Pro Reels, via Wikimedia Commons)

 「ヴィニは、ブラジルは盗まれた!」―ワールドカップで敗退した時を除けば、近年、ブラジルのスポーツメディアとファンがこれほど怒ったことはない。
 先月28日、パリで昨シーズンの男女の世界最優秀選手などを選定する「バロンドール」の表彰式が行なわれ、ブラジルのメディアとファンが受賞を信じて疑わなかったヴィニシウス(レアル・マドリー、ブラジル代表)が受賞を逃した(次点)。賞を受けたのは、スペイン代表でマンチェスター・シティでプレーするMFロドリである。ちなみに、選考にあたったのは男子のFIFAランキング100位までの国のジャーナリスト(各国1名)だ。
 レアル・マドリーにはヴィニシウス以外にも各賞にノミネートされた選手が多数おり、約50人がチャーター便でパリへ向かって表彰式に出席する予定だった。
 しかし、式の当日になって選考結果を伝え聞いたヴィニシウスが出席を拒否。クラブも彼に同調し、クラブ関係者全員が出席を取り止めた。この態度は、国際的に厳しい批判を浴びた(筆者は選考結果が事前に漏れることはあってはならないと考えるが、それでもヴィニシウスとレアル・マドリーの取った態度が適切だったとは思わない)。
 ロドリは、世界最高峰の守備的MF。スペイン代表の一員として欧州選手権で優勝し、大会MVPに選ばれた。世界最高峰であるプレミアリーグ(イングランド)も制覇している。一方、ヴィニシウスはスピード、パワー、テクニック、決定力を兼ね備えた左ウイングで、欧州チャンピオンズ・リーグ優勝の立役者となった。スペインリーグでも優勝している。
 二人とも、極めて優れた選手なのは間違いない。スペイン人は「ロドリは受賞に値した」と考え、ブラジル人は「ヴィニこそが世界一の選手」と言い張る。
 そもそも、よほどの差がない限り、選手の優劣を比べるのは難しい。ポジションが異なれば、なおさらだ。
 興味深いのは、スペインともブラジルとも直接関わりがない日本で、「ロドリは、キャリアを続けながら大学で学んだ。受賞のスピーチでは家族、クラブ関係者ら周囲の人々に感謝の言葉を述べ、スペインが生んだ過去の名選手に敬意を示し、若手選手も激励して感銘を与えた」として「(ヴィニシウスとの)人格の違いが受賞の決め手となった」と考える人が少なくないことだ。“優等生”が好きな、いかにも日本的な見方だろう。
 この賞の選考基準(2022年以降)は、1)個のパフォーマンスと決定的かつ印象的な個性、2)コレクティブなパフォーマンス(タイトル獲得)、3)人格とフェアプレーだ。確かに人格も考慮されるが、それが決定的な要素ではない。
 ヴィニシウスは、リオ郊外の貧困家庭の出身だ。日本人には想像を絶するような苦労を重ねて名門フラメンゴで頭角を現わし、18歳で世界最強クラブであるレアル・マドリーへ。
 極めて危険なドリブラーであり、黒人であるため、対戦相手のクラブのサポーターから「死ね!」と罵声を浴び続け、彼のユニフォームを着せた人形を橋から吊るされる、といった過酷な人種差別を受けてきた。
 しかし、これらの圧力に屈することなく地道な努力を続けて成長を遂げ、世界のトップ選手となった。プレーのみならず、理不尽極まりない人種差別に敢然と抗議する姿が、ブラジルでは喝采を浴びている。
 確かに、対戦相手の選手を挑発するなど、褒められない言動をすることがある。しかし、ブラジル社会のことを多少でも知っている者なら、これまで彼がどれほどの苦難を乗り越えて現在の地位にたどり着いたか、そして貧しい少年たちの憧れの的となっていることに感銘を受けずにはいられない。
 “人格者”とされるロドリは、ヴィニシウスについて聞かれて表向きは「素晴らしい選手」と答えていたが、仲間内の受賞祝賀パーティーで「ヴィニシウス、チャオ、チャオ」と叫んだ動画が流出。ブラジルでは、多くの人が「ヴィニを愚弄した」と受け止めて怒りを増幅させた。
 その一方で、今回の男子の世界最優秀選手にノミネートされた30人の国籍別の内訳は、スペインとイングランドが6人ずつで最多で、ブラジルはヴィニシウスただ1人。日本は1人もいなかった。女子の世界最優秀選手、男子の最優秀ヤングプレーヤー(U―21)もスペイン人だった。
 世界ランキング100位までの国のうち40カ国を欧州が占め、その他の地域はアフリカ23カ国、アジア16カ国、南米と北中米が各10カ国、オセアニアが1カ国。選考結果が欧州人選手に有利に働く傾向があるのは否めない。
 それでも、ブラジルも日本もこの選考結果を真摯に受け止め、選手育成になお一層の努力を傾けなければなるまい。

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