オキナワサントス=第3回上映会に約150人=事件当時7歳の比嘉さんも出席

1943年のサントス強制退去事件を描いた松林要樹監督のドキュメンタリー映画『オキナワサントス』(90分)の第3回巡回上映会が9日午後4時、サンパウロ市北部の協和農村文化協会(上原幸雄会長)会館で行われた。同上映会は、ブラジル沖縄県人会のカショエイラ、カンポリンポ、グアルーリョス、パトリアルカ、ペンニャの5支部が協同して開催。夕方からの大雨による悪天候にも関わらず、各支部会員ら約150人が参加した。

ブラジル沖縄県人会元会長の島袋栄喜氏の司会進行で行われた開会式では、開拓先亡者への黙とうに続き、高良律正同県人会長が挨拶。『オキナワサントス』上映にあたり、会場設営など準備を行った地元関係者と実行委員らスタッフに感謝の気持ちを表した。
今回の上映会場となったカショエイラ地域で1978年まで活動し、現在は近隣のグアルーリョス市に在住している上原ミルトン定雄上映会実行委員長は、サントス事件がなぜこれまで公に知られず、歴史の闇に置き去りにされてきたのかを問いかけ、各地での巡回上映の必要性を説いた。
沖縄県人移民研究塾の宮城あきら代表は、2019年4月に同会場からほど近いカンポリンポ支部会館でサントス事件に関する証言インタビューを13人に行ったことを振り返った。宮城代表は、ドイツ潜水艦による米伯商船撃沈について行われた「スパイ通報」によって、先人たちが無実の罪を着せられたことに対し、埋もれた事実を掘り起こし、二度と同じ過ちを繰り返さないようブラジル政府に謝罪要求を行うことの大切さを強調した。
5支部を代表して行われた大嶺成正支部長のあいさつの後、上原ミルトン実行委員長の実弟である協和農村文化協会の上原幸雄会長が来場者への感謝の意を示した。
会場には当時7歳で家族とともにサントスから強制退去させられた、地元カショエイラ在住の比嘉優さん(87歳、沖縄県玉城村(現・南城市)出身)の姿もあった。
比嘉さんは、1939年8月に3歳で両親と渡伯し、モジアナ線に入植後、40年にサントス市に引っ越した。41年3月に高圧線による事故で父親を亡くした。その後、母親は同じ沖縄県人の野原トラ氏(故人)と再婚し、優さんは野原氏が連れてきた1歳年上の義兄と3歳年下の実弟と5人家族で暮らすことになった。
43年7月8日、強制退去命令により、サンパウロ州ソロカバナ線のアヴァレーに家族での転住を余儀なくされた。その後、45年に現在のカショエイラに移って以来、同地に住んでいる。
ちなみに、優さんの継父の野原氏は、上映会場となった協和農村文化協会の創立会員の一人。同会館は51年6月18日に創立された。
8月21日に行われたサンパウロ市リベルダーデ区の沖縄県人会本部会館での第1回上映会に続いて、『オキナワサントス』を視聴したのは2回目だという比嘉さん。強制退去を受けた当時のことは「あまり覚えていない」としながらも、「(強制退去を受けた当時)子供だった人たちが、今もそれぞれに元気で過ごされていることが何より」と、率直な感想を話した。
上映後は参加者から「なぜサントスに沖縄県人が多く住んでいたのか」等の質問があり、沖縄県人移民研究塾の宮城代表が歴史的背景を説明した。
夕食会の合間には沖縄県人子弟楽団「バンド三協」による「沖縄の心を歌う」ショーも行われ、参加した人々を楽しませた。