エリゼウ・パジーリャ氏死去=3政権で閣僚のMDB重鎮
カルドーゾ、ジウマ、テメルの3政権にわたって大臣を務めてきたエリゼウ・パジーリャ氏(民主運動・MDB)が13日夜、リオ・グランデ・ド・スウ州ポルト・アレグレの病院で亡くなった。胃がんを患っていた。14日付エスタード紙サイト(1)などが報じている。
エリゼウ氏は1945年にリオ・グランデ・ド・スウ州カネーラに生まれ、ヴァレ・ド・リオ・ドス・シノス大学を卒業後、1966年の軍事政権下にMDBに入党した。
1989年にリオ・グランデ・ド・スウトラマンダイーの市長を務めた後、1995年から2011年までの4期と、2013~15年の2年間、下議を務めた。また、97年にはカルドーゾ政権で運輸相に就任。4年間務めた。
さらに、2015年にジウマ政権で民間航空局長官に就任。同政権が2016年に崩壊すると、今度はテメル政権下で官房長官に就任した。2018年には一時的なものではあったものの、労働相もつとめている。
MDBの中ではとりわけ、重鎮政治家として有名で、党内では全国副党首や、ウリセス・ギマリャンエス財団の副会長を務めたこともある。