なぜブラジルは鳥居大国になったのか?!ーー深沢編集長オンライン講演会「ブラジル日系社会の世代交代と文化変容」
日本人にとっての、移民をめぐる議論の出発点は、日本国内の外国人ではなく、海外へ渡った日本人自身にあるのではないか──。ブラジル在住の立場から語られた講演は、日本移民の歴史を「日本文化が異文化の中で生き残るための壮大な実験」と位置づけた。
ブラジル中央協会(大前孝雄会長、在東京)は日本時間11月19日に、ブラジル日報編集長の深沢正雪さんオンライン講演会「ブラジル日系社会の世代交代と文化変容」を行った。 その時の動画が本紙YouTubeにアップされた。生長の家や本門佛立宗などの日本伝来の宗教、どうしてブラジルが鳥居大国になったのか、ブラジルで変化した盆踊りや巻き寿司といった具体的な事例を、世代交代と文化変容という視点から、動画を交えてわかりやすく語った。
1920年代、日本は昭和大恐慌に関東大震災と米国の日本人移住制限に直面し、多くの人々がブラジルへ向かった。彼らは明治期の国家意識を色濃く宿した「段階の世代」であり、その価値観は戦前2世へと受け継がれた。結果として、ブラジルには「明治の日本」が残ったという指摘は象徴的だ。
しかし、戦争と敗戦は移民の運命を大きく変える。帰国の道を断たれた一世たちは、ブラジルを「第二の祖国」と定め、祭りを始め、桜を植え、地域社会と関係を築いていった。灯籠流しや日本祭りは、やがて日系社会の行事を超え、地域の伝統として根付いていく。
世代交代が進むと、日本文化はさらに姿を変える。盆踊りはブラジル音楽と融合し、沖縄そばは町の名物となり、柔道は五輪最多メダル競技として国家の誇りとなった。仏教や新宗教も、ポルトガル語で教義を伝え、現地社会の苦悩に応答する形で広がっている。
こうした変容は、日本文化の希薄化ではない。むしろ、受け入れ社会に必要とされる形へと再解釈され、再生拡大してきた証左である。日本移民の117年は、同化でも隔離でもなく、共存を模索し続けた歴史だった。講演は、日系人とは何かを問い直しながら、日本文化が世界で生き続ける可能性を静かに示した。








