宝石の街ジアマンチーナ巡り=2=名所は「王道」「チッカ・ダ・シルバ博物館」

ミナス・ジェライス州ジアマンチーナ市初訪問で右も左も分からない記者のために、日本人鉱物コレクターの斉藤猛さんが坂の多い町中を案内してくれる。まずは、バスターミナルを目指し、高台にある宿泊先のホテルから徒歩で坂を下っていくと、市内中心地の広場の奥側に教会と黄色い建物が見えてきた。黄色い建物は昔の鉄道駅で、側面の壁には「DIAMANTINA」の文字が書いてある。現在、鉄道は廃止され、建物と敷地の一部は地元の消防署が使用。その隣接地にバスターミナルが配置されている。
バスターミナルから北東方面に坂をさらに下っていくが、町の中心部はデコボコした石畳が続き、意外に歩きづらい。道の両側はコロニアル風の白塗りの建物が並び、同市が治安の良い観光地であることを実感する。
メトロポリタン(サント・アントニオ・ダ・セー)大聖堂がある広場に出ると、平日ながら観光客の姿もちらほらと見える。広場周辺にはタクシーが数台停まっており、アップダウンの坂が多いために歩き疲れた観光客や地元民が頻繁に使用しているようだ。

斉藤さんの話によると、ジアマンチーナ市のように金(きん)とダイヤモンドが同じ地域で採掘される場所は世界でも珍しいという。また、ブラジルを植民地支配していたポルトガル人たちが18世紀、リオ市とリオ州パラチ市の両ルートから北上して鉱物探査を主な目的にジアマンチーナ市まで辿ってきた道のりは現在、「ESTRADA REAL(王道)」と呼ばれる人気の観光コースになっている。その意味でも斉藤さんは「歴史的にも重要な拠点である」とジアマンチーナ市を評する。
同市で有名なのが、「チッカ・ダ・シルバ」という名前の女性奴隷の話だ。彼女は、ジョアン・フェルナンデスというポルトガル人のダイヤモンド請負業者と結婚したことで裕福な暮らしを保障され、自ら奴隷を所有するようになるなど、当時、白人が支配する地元社会で名声を得るようになった。
市内にある「チッカ・ダ・シルバ」が住んでいた家は現在、博物館として開放されており、彼女の肖像画や調度品など当時の暮らしぶりを示す展示が行われている。
斉藤さんによれば、ジアマンチーナ市での金(きん)とダイヤモンドの採掘量は以前に比べて減少しているそうだが、水晶(クリスタル)の採掘は今もガリンペイロ(山師)たちが正式な許可を得て毎日のように行っているという。
市内見学を終え、疲れていることもあり、メトロポリタン大聖堂前からタクシーを拾って高台にあるホテルまで戻る。運転手は大柄な黒人系の老人で、地元宝石取り扱い業者のフェルナンデス兄弟とは知り合いだとし、「俺は奴隷の子孫だ」と身の内を話してくれた。(つづく、松本浩治記者)