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激動のデモ開始から10年=移り変わる政治環境を回顧

2023年6月15日

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 過激な抗議運動によりブラジル政治が激動を始めた2013年6月。10年が経過した現在、政治の渦中に入った当時の人々がこの10年をどう振り返るかを14日付フォーリャ紙(1)が特集した。
 ブラジルを代表するSNSのインフルエンサー、フェリペ・ネットは当時の抗議活動を、「メディアに扇動されたエリートと中流が溢れ出たものだった」と振り返る。「あの時の自分には激しい労働者党(PT)嫌悪があった。でも、自分を含め、誰も求める政治の方向性がわかっていなかった。結局、それが極端に右寄りのボルソナロ政権の誕生を招き、国の歩みを逆行させた」と分析している。
 当時、市民政治運動の「ナス・ルアス」を率い、後にボルソナロ氏の側近的政治家にもなったカルラ・ザンベッリ下議は、「地下鉄料金の20センターボだけの問題ではなく、サッカーのコンフェデ杯やW杯にも無駄な金が使われていた」「(翌年始まった)ラヴァ・ジャット作戦遂行を後押しした」と成果を評価している。同下議は10年間で空気が変わったとし、「今はデモをすると反民主主義などのレッテルを貼られ、抗議活動がしにくくなった」と語っている。
 企業家で政治団体「ポリチカ・ヴィヴァ研究所」創設者のロザンジェラ・リラ氏は、「当初は若い人たちの政治参加を促した意味のあるものだった」と評価する一方、「ルーラ氏逮捕に躍起になり始めた頃からラヴァ・ジャット作戦はおかしなものになった」とし、運動から離れたことを認めている。
 政治団体「ヴェン・プラ・ルア」広報担当のルシアナ・アルベルト氏は「カルドーゾ、ルーラと続いた汚職政権の流れに対する抗議として意味があった」としながらも、「大統領選でボルソナロ氏当選、ルーラ氏再選という残念な結果が続いている」と評した。
 ホームレス労働者運動(MTST)のコーディネーターのジョズエー・ロッシャ氏は、「汚職への抗議などの意味で立ち上がったが、抗議運動の間に右派だけが強まっていった。その過程でPTは終わったとみんな言っていたが、もうそんなことは誰も言っていない」と語っている。


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