site.title

《記者コラム》リオ・グランデ・ド・スル州の被災者支援=ブルマジーニョの人からも

2024年5月16日

ブルマジーニョの被災者達がリオ・グランデ・ド・スル州への支援を決めたと報じる14日付アジェンシア・ブラジルの記事の一部
ブルマジーニョの被災者達がリオ・グランデ・ド・スル州への支援を決めたと報じる14日付アジェンシア・ブラジルの記事の一部
 リオ・グランデ・ド・スル州では4月28日以降の豪雨とその後の雨で200万人を超える被災者が出ており、連邦政府や州政府の他、全国からも様々な形の支援の手が伸べられている。
 紙面やサイトに掲載できる内容はほんの一部で、伝えたくても伝えられないもどかしさが常に付きまとうが、五輪出場を諦めて救助活動に参加しているスポーツ選手や骨折しても動物救助に参加した女性、被災地に送る水を集め、その容器の一つ一つに手書きのメッセージを貼り付けた市立校の生徒など、心動かされる話は尽きない。

 その中でひときわ目を引いたのは、14日付のアジェンシア・ブラジルが報じた、2019年に起きたミナス州ブルマジーニョの鉱滓ダム崩壊事故の被災者達の団体がリオ・グランデ・ド・スル州の被災者支援のために220万レアルを送るという記事だ。
 この前日に、リオ・グランデ・ド・スル州山間部のベント・ゴンサルヴェスに住み、8カ月間で3回目の水害に遭った66歳の男性が、今回の浸水が起きるまでの速さや雪崩れ込んだ水の量を「第2のブルマジーニョだ」と語っている記事を読んでいたこともあり、ブルマジーニョの被災者達がリオ・グランデ・ド・スル州や被災者を支援するために企業から受け取った賠償金の中から大金を贈るという行為は、痛み、苦しみを知る人達だからこそとの思いを強くさせた。
 逃げる間もなく迫りくる汚泥や水に直面し、命の危険を味わうという恐怖体験や近しい人達を亡くすという体験は、時間が経っても忘れられないものの一つだし、大規模な災害後の再建、復興は何年もかかる。
 ブルマジーニョもまだ傷跡が残る被災地の一つで、生活再建や事故で失った家屋や畑などの修復も完全ではないのに、復興・修復のための資金を他州の被災者支援のために贈るという思いやりに目がしらが熱くなった。
 品物や現金による支援は、有り余っている人からだけではない。ファヴェーラの住民や路上生活者からの寄付が山をなしている写真も見た。道路などが寸断されている中、各地から送られてきた品を被災者に届けようと骨を折っている人達もおり、車やボートでは運べない所には空軍などのヘリが落下傘を付けた支援物資を落とす様子も報じられている。
孤立していた人の救助活動(©Pref. de Canoas/Divulgacao)
孤立していた人の救助活動(©Pref. de Canoas/Divulgacao)
 被災地ではまだ、救助が必要な人や動物がおり、避難所として使われている学校では授業も再開できず、マットレスや防寒着も足りないといった目の前の必要や困難がある。今後はまた、日常生活や経済活動の再開、アドレナリンの過剰分泌状態故に、急場を乗り切った後に来る精神的なケアの必要も考えなくてはならない。
 大規模災害後は比較的短期間に人々の関心が薄れることも懸念事項の一つだ。雨が止み、今は満杯の避難所が空になっても災害は終わりではない。今必要な支援を行うことはもちろんだが、何年経っても支援が必要な人達がいることにも目を向け、見守り続けたい。(み)
 
 
 
 
 

《記者コラム》7月25日に政府謝罪を再審議=恩赦委員会が日本移民迫害を前の記事 《記者コラム》7月25日に政府謝罪を再審議=恩赦委員会が日本移民迫害を《記者コラム》10年後も見通せる=コパ・アメリカの若いセレソン次の記事《記者コラム》10年後も見通せる=コパ・アメリカの若いセレソン
Loading...