《記者コラム》リオ・グランデ・ド・スル州の被災者支援=ブルマジーニョの人からも

紙面やサイトに掲載できる内容はほんの一部で、伝えたくても伝えられないもどかしさが常に付きまとうが、五輪出場を諦めて救助活動に参加しているスポーツ選手や骨折しても動物救助に参加した女性、被災地に送る水を集め、その容器の一つ一つに手書きのメッセージを貼り付けた市立校の生徒など、心動かされる話は尽きない。
その中でひときわ目を引いたのは、14日付のアジェンシア・ブラジルが報じた、2019年に起きたミナス州ブルマジーニョの鉱滓ダム崩壊事故の被災者達の団体がリオ・グランデ・ド・スル州の被災者支援のために220万レアルを送るという記事だ。
この前日に、リオ・グランデ・ド・スル州山間部のベント・ゴンサルヴェスに住み、8カ月間で3回目の水害に遭った66歳の男性が、今回の浸水が起きるまでの速さや雪崩れ込んだ水の量を「第2のブルマジーニョだ」と語っている記事を読んでいたこともあり、ブルマジーニョの被災者達がリオ・グランデ・ド・スル州や被災者を支援するために企業から受け取った賠償金の中から大金を贈るという行為は、痛み、苦しみを知る人達だからこそとの思いを強くさせた。
逃げる間もなく迫りくる汚泥や水に直面し、命の危険を味わうという恐怖体験や近しい人達を亡くすという体験は、時間が経っても忘れられないものの一つだし、大規模な災害後の再建、復興は何年もかかる。
ブルマジーニョもまだ傷跡が残る被災地の一つで、生活再建や事故で失った家屋や畑などの修復も完全ではないのに、復興・修復のための資金を他州の被災者支援のために贈るという思いやりに目がしらが熱くなった。
品物や現金による支援は、有り余っている人からだけではない。ファヴェーラの住民や路上生活者からの寄付が山をなしている写真も見た。道路などが寸断されている中、各地から送られてきた品を被災者に届けようと骨を折っている人達もおり、車やボートでは運べない所には空軍などのヘリが落下傘を付けた支援物資を落とす様子も報じられている。

大規模災害後は比較的短期間に人々の関心が薄れることも懸念事項の一つだ。雨が止み、今は満杯の避難所が空になっても災害は終わりではない。今必要な支援を行うことはもちろんだが、何年経っても支援が必要な人達がいることにも目を向け、見守り続けたい。(み)